gと烙印(@アニメてにをは)

ジブリにまつわる回想、考察を書いていきます。

Reviews about every piece of animation in GreenPack at TAAF2022(TAAF2022グリーンパック作品群のレビューです)

★2022年、東京アニメアワードフェスティバル、通称TAAFにおいてノミネートされた”学生部門”アニメ短編=「グリーンパック」作品の短評を掲載します。
★こういった映画祭へ応募した自主制作アニメ作家たちは、もちろん何らかの賞を獲得することを期待するが、それ以上に自分たちの作品がどのように評価されたかを知りたいと思うものだ。それは私なりの個人的な経験則でもある。
★しかし他の国はいざしらず、日本においてはレビュー文化は壊滅的である。漠然とした感想ならまだしも、確かな鑑賞眼にしたがったレビューを出来る者はアニメ業界においては皆無だろう。
★以上の理由で僭越ながらグリーンパックの作品評をする。遅まきながら自己紹介すればわたしはジブリが発行する雑誌『熱風』でアニメ論を一年間連載した実績を持つ者である。これらのレビューに疑義を抱く者がいたならば、あなたなりのレビューをSNS上で書き込んで欲しい。そういうことが起こり得るきっかけにもなればと思い、わたしはこのレビューを公表する。
★ここに言及している作品は、下記のアドレス『東京アニメアワードフェスティバル(TAAF)』で無料登録すれば「グリーンパック」カテゴリーで、2022/8/11まで無料で見ることができる。
https://taaf.jp

『ガチョウと少年』(The Child and the Goose)


★1『他愛ない』作品である。こういうのが一番、評価に困る。洗練されていないデザインを、『そうでしょうとも』と開き直った風に提示される。動のつけ方も感心しない。飛びたてないでいるガチョウの動きは良いが、いざ飛び立ってしまうと重力/反重力を意識して実現する、力感のともなったはばたきはまったくなっていない。
★2少年とガチョウが都会に降り立ち、乾燥機で雨をしのぐ。巨大ガラスが少年を襲う。屋上のふちから少年が落ちたと思うとガチョウに乗って羽ばたき、ガチョウとカラスの攻守が交替する。
★3こういうのは『商売のアニメ』でやってくれと思う。作ってるスタッフたちにすれば、この作品を名刺がわりにして、どこかの商業スタジオに入社するために作られたかのような、そういう他愛なさ。

ゴールデンアワー』(Golden Hour)


★1まず白黒つけておこう。作品冒頭で、小道具を無限の高さに積み上げて持ち運ぶスタッフの『バランス感覚』が全然説得的でない。『あくまで冗談ですよ』と言わんばかりの動きのつけ方だ。しかしここで動きの精妙さを発揮しないでどこでこの作品の魅力を発揮するというのだ。つくり手は肝心の冒頭で手を抜いてしまっている。
★もちろんコミカルなセル(ルック)アニメとしてよく出来ている。群衆の波にもまれても逆らうヒロインの動き。あるいは暗がりのバーでX字状に視線が逸れあう人物の配置の妙など。
★しかし問題は作品冒頭なのだ。あそこでバランス感覚のアニメートをするか/しないかは、作り手がアニメに対して基本的にどのように立ち向かっているかを提示する、決定的に大事なポイントであるはずだ。

『ステップ バイ ステップ』(Step by Step)


★1よく出来た短編だと思う。何かの事情で森に置き忘れられた片方だけの子供用長靴。長靴は懸命の脱出動作をしながら、表情豊かな仕草をくりだす。そしてカタツムリ、リス、キツネとの友情あるいは格闘。ラストでたどりつく、我が家で待つ長靴一家が逆さに干されていない不思議さはまあ置くとしよう。
★2しかしこれもまた『よく出来た』作品に過ぎない。いずれピクサーなりディズニーなりに吸収される作り手でしかない。もちろん商業アニメへ進む一手として、この映画祭を利用するのは全然アリだ。だがフェスティバルの観客としてはこの手のものは商業作品でもう見飽きているのではないか。こういう『他愛ない』表現は商業作品でもっと大掛かりに・アイデア豊かにやられている。
★3だから結局、作品の『柄』として小粒に見えても仕方ない。これもまた商業スタジオへ参入する『名刺がわり』のつもりかも知れない。しかしフェスティバルの観客は甘くはない。商業アニメの『縮小再生産』のような作品を彼らは期待してなどいないのだ。

『トリオ「ザ・独唱者たち」』(The Soloists)


★1とても雑多な『部品』に満ちている作品だ。倒れては組みあがる書き割り的場面転換。人物たちの下半身を省略的に造形する独特の処理とそれにともなう動作。あるいは小道具がなぜか平べったい。物語としては、圧政下で歌唱を貫こうとする姉妹たちの話だが、上記のさまざまな細部に眼があちこちしてしまって、結局何がやりたいのかがわからない。アイデアが散らばってしまって、コンセプトが焦点化されていないのだ。
★2最後に政治的メッセージが字幕で出て来て、圧政下の女性差別の問題を皮肉るが、単に冗談として政治的コメントを出しているとしか思えない。ふざけるにしては、まだまだ世界には厳然たる様々な差別があるので、この冗談のような最後のテロップは、単に政治的意識が欠如した皮相さが浮かぶばかりだ。思慮に欠けたこのメッセージは、この作品が様々なアイデアに満ちながら統一的にまとめられない思慮の足りなさと通じ合っているように見えてしまうが、いかがだろうか。

『菜の花のころ』(Colza)


★1ミュシャのようなタッチの細密画で作品は出来ている。背景も人物も同じタッチで描き尽くされている。つまり背景と人物が一体化していて、やろうと思えばすべての素材が自由自在に動かすことが出来たはずだ。しかしそのメリットは活かしていない。しかし人物の動きのつけかたはよく出来ている。紐の結び方や、菜の花をつまみ方など。
★2細密かつ色彩豊かな世界が、短い時間で筋立てもコンパクトに収まっている。
★3問題は飛行機だ。重力/反重力の作用のバランスが効いていないので、飛んでいるように見えないんどあ。ただ空中を滑っている。一番の魅力的な造形物をうまく扱えていない勿体なさがあるが、それでも様々な面で(動き、造形など)バランスよく作られているので、以上の改善点が克服されればこのスタッフがつくった長編を見てみたいと思った。

『束縛』(The Bridle)


★1木炭スケッチ風アニメ。囲いにいた犬が飛び出して野を駆け回る。「束縛」の綱が唯一黄色の色彩を帯びて長い軌跡を描く。
★2動きに工夫はない。金網のしなり、ポプラ並木のうねり、車の疾走、どれひとつ納得できる動きのものがない。ひとつの動きを『繰り返し』で表現することが頻出し、四枚ほどの絵の繰り返し表現が下手である。最後に犬は束縛から解かれて、色彩豊かな野になって、犬はそのフレームの外へと飛び出す。色彩とフレームの『約束破り』をしながらも、驚きはない。基本的な動きが出来ていないので、観客はこの作品の「フレーム内」に入っていないのだから。

ウロボロス』(Ouroborus)


★1色彩感覚が鮮烈な作品だ。パステル調のカラリングは作品のディストピアな世界観をポップなものに変じて呈示し得ている。街やひとをおそう紫の粘液の、その粘りの質感や、それに対応するひとびとの仕草も動きの質感(緩慢さ、伸び縮み)がよく出来ている。
★2ただし、街をおそうこの粘液が、ひとびとに何を強いているのか/どんな変質を強いてくるのか、「設定上のルール」を決めかねたまま作品を作った甘さはあると思う。いくつかのルールが併存しているように見え、変質の結果のひとつに「倦怠感」らしさは感じとれるが、決定的ではないので曖昧さが作品につきまとう。
★3短編でアートらしさをねらうアニメに多く見られる欠点が、こういった「コンセプトなり設定の詰めの甘さ」が挙げられる。コンセプトなり設定を詰めていないと意味がダイレクトに伝わらない。つまり『寓意性』が伝わらない。ぼやけた印象になる。多義性と曖昧さを取り違えている作り手は多い。
★4この作品は色彩性という抜群の魅力と、確かなアニメートする技術があっただけに、コンセプトの脆弱さが解決できていないのが残念だ。

『気まぐれな雪』(The Uncertain Snow)


★1雪原で熊とコンタクトした恐怖に見舞われた女性カメラマン。彼女はなぜか熊との再度のコンタクトに期待して雪原で撮影を敢行する。それはパートナーとのセクシュアルな触れ合いを連想させるようだ。表現的には、人物の顔に意図的な色むらを残して、手描き感を残した作品になっている。彼女の手がまさぐる雪原が変じて、ベッドの純白なシーツになる。『質感を変容』させるこの作品のクライマックスだ。
★2パートナーとの曖昧な齟齬が作品の底流を流れるのは伝わる。しかし雪原での撮影行為と、パートナーとのセクシャルな触れ合いとが、どうして連想行為に結びつくのか伝わらない。そのためラストに、パートナーを否認するような仕草の幕切れも効果的ではない。
★3「女性性」の側から世界を異議申し立てするという切り口はうまく提示されていると思うだけに、雪原とセクシュアリティの連想関係はうまく組み立てていて欲しかった。雪原とシーツが「同じ白」なだけでは、イメージ同士の連関性は生まれないのだ。では「アニメとして」どうしたらいいか?観客を『作り手側へと誘う』それもまた「下手な/アマチュアな」作品の存在意義でもある。
★4作品の性質から言ってタイトルは原義に近い「不確かな雪」とした方が、観客にもテーマを感受しやすかったと思う。

『HIDE AND SEEK』(HIDE AND SEEK)


★1よく出来ている。日常にひそむ不穏な予感を様々なアイデアで積み重ねて、予測不能なカット割りとその構図の組み立て方で見せる。そして短編ならではな結構で明快につきつける結末。
★2でもこれを学生部門のグランプリにするのは審査委員たちに対して疑問ですね。この作品には『新しさ』がない。『未聞の表現』がない。せいぜい『小器用に・よく出来た』作品に過ぎない。こういうものをグランプリにする回が重なったなら、今後意欲のある作り手はTAAF出品を避けるでしょうね。

『蠢く羽音』(Buzzing)


★1ビデオゲームにでも登場するのが最適な造形の人物が、不出来でマチエールで登場して、動きも拙劣。彫刻家の男と恋人、隣室のチェロ奏者。三者のドラマも単調だ。多言を費やすのが不毛な、不出来な作品。なんでこんなのがノミネートされたのか。

『予期せぬ出来事』(Contretemps)


★1とても評価できる一編だ。人物の頭部がラフなタッチで描かれながら、実はしっかり三次元で構築されていたり、あるいはひとつひとつの動作に確かな技術力もある。神経症の女性が日常的なトラブルを乗り越えるという筋立ては、ありきたりでもあり・やや類型的な差別も感じさせるが、規格外な出来事に弱いこの女性が乗り越える冒険は表現に満ちている。
★2一番感心したのはセルと背景の確かな絡み合いが効果的に使われている点だ。煉瓦壁に手をかけ、据わりの悪い階段のステップに躊躇し、劇場の硬い座席に手をかける。ひとつひとつの動作にそれ固有の硬さの感触を与えている。
★3表現に水準を認めると、一方でどうしても筋立ての陳腐さが逆照射されてきて、作品として弱みがある。それでもこの一編が確かな表現力を持っているのは、事物の確かな硬さと妄想の弾力感あるやわらかさをきっちり造形しているからである。

『わたしのトーチカ』(Our Little Pond)


★1動作の面ではおそらく問題はさほどないと思う。全編を通じて画面の表面上になにかのマチエールが走り続けているが単調さをごまかすためだったら拙劣だ。
★2表現を凝るよりも明らかに何かを物語ろうとしている。しかしそれがよくわからない。何人かの人物が出てくるが、物理的特徴と性格的な特徴は皮相な関連性があるだけで、それ以上の表現的膨らみがない。人物同士の葛藤だけを筋立てとして見ていても非常につまらない。表現力は持っているが、世界観の構築が下手だと思われても仕方ない。
★3最後まで水上と水面下の二重世界にした意味がわからなかった。ビジュアル的に・アイデアとして面白そうだったからそうしたのだろうか。だとしたら後づけの理屈が追いついていない。
★4おそらくこの作品は、尺の短かさに見合うだけの、設定の取捨選択が出来ていない。そしてひとつひとつの設定が作り手に求めてくる、テーマの深掘りもほとんどされていない。
★5「地上と水中世界」が「プライベートと世間」という二項対立だと理解するのはもちろん簡単だ。二重世界を水中と地上に設定したら面白くなると思った着想は理解できる。しかし実際作品として実現してみると、ひとりだけ潜水服を着ているという設定がそれ以上面白くしようと工夫されていない。それすらも出来ていないのに、何人もの特徴的人物を配剤し、犬まで入れ込んでいる。どれも浅い設定のままである。
★6おそらく潜水服を着て通学する少年、という、ただひとつの設定だけで、どこまでその設定を、ひろい世界観と豊かなディティールで展開できるか、それを勝負すべきだったと思う。駒数ふやしてる場合でなく、たったひとつの駒が放つ『物語の磁場』に目を凝らすべきだった。

『ルイーズ』(Louise)


★とても魅惑的な作品だ。ドガロートレックの作品に着想を得て、豪華な踊り子たちの舞いから始まり、下世話な舞台裏へとドラマが展開し、パトロンとの無残なセックスでクライマックスを迎える。19世紀末の風俗へのフェミニスティックな眼差しが効いている。独立系短編アニメだからこその題材だ。
★ただし動きの工夫は、全編を通じてもっと精妙に出来ると思う。そしてそれ以上に空間処理の工夫が出来る。複層の奥行き、鏡の効果、階段の上下などなど。パトロンとの性交の無慈悲なカットの割り方も工夫に欠く。しかし末尾の踊り子たちがあらわにする裸体への、非セクシュアルな描き方は成功している。可能性を感じさせる作品だ。

★ここに言及している作品は、下記のアドレス『東京アニメアワードフェスティバル(TAAF)』で無料登録すれば「グリーンパック」カテゴリーで、2022/8/11まで無料で見ることができます。
https://taaf.jp

Reviews about every piece of animation in Purplepack at TAAF2022(TAAF2022のパープルパック・各作品のレビューです)

★ただの感想でなく、一定の定見ある者としてTAAFノミネートのアニメーション作品をレビューした。

 


『存在する不在』(Absence)

player.vimeo.com

★冬のパリ。ひとびとが行き交う街路に半裸の老人がひざまずく。その瞬間老人をとらえるカメラはスローモーションになって回り込み続け、途切れることのないカメラワークは老人を取り巻くさまざまなひとびとの姿を映し込み、老人の存在をとおして社会の縮図を描きたいようだ。
★作品がとりあつかう主題は、貧困や差別をめぐるひとびとの反応の群像図絵とも言うべきもので、いたって微温的な切り口でしかない。
★それに比べて、ひとびとの造形の『異形さ』は、ひとつのスタイルとして完成されている。老人の背中を形成するのは、波のように浮き立ち・渦巻く皮膚で造形されていて、リアリズムを無視した、彫像のようである。こういった人物造形が数多く現れる登場人物にひとり残らず念入りにほどこされた執念は驚くほどである。老人に金銭を恵んでほくそえむ少年の粘土細工のようなグロテスクさは特に気を引いた。
★社会を風刺するという主題的なアングルの微温さと、これら人物群の造形の執念深さとは、均衡を失するほどの落差がある。あるいは発想の平凡さを超えるためにも造形がここまで彫琢される必要があったのかも知れない。


『たいせつなこと』(Precious)

player.vimeo.com

★差別をめぐる物語だ。知的なり精神的なりの障害を持った者同士(異性同士でもある)が、その《劣性〉のために接近し、その劣性の《差異》のために裏切りが・別れが訪れる。
★この物語をどう接するか、観る者は態度を迫られるだろう。自分が観ているのはただの差別か、それとも何か別の視線を見せられているのか。当然つくり手は明快な解答を用意せず、曖昧な解答・のようなものを提示して終わる。
★しかし単純化・抽象化が効くアニメーションとはこの場合、人類を三別種にわけて巧みである。劣等人種の児童、平均人種の児童、平均人種の成人。この『種別化・類型化』こそが《差別》そのものだと言うことができる。このアニメは《差別》なのかそれともそうではない別ものなのか。
★人物を構成するパーツや肌理、動きのつけ方は何ら不満はなく観れた。


『駐車場でアメを食べたね』(Estrange)

player.vimeo.com

★幼馴染み同士のすれ違いを生んだその些細さなディティールは、日本人以外が観たとき、その「あるある感」が伝わるものか少し考えさせられた。
★子供たちのタコ足のような造形はユニークではあるものの、その造形が十分に生かしきれているのだろうか。ケンケンパがその最大限ではもったいない。そうは言いつつ、ギャルたちの踊り、その踊りについていこうと奮闘するネコ、あるいは卒業時にネイルに怠りないネコなど、ユニークな細部もある。
★ただ一番の問題点は、ウサギが回想しているはずなのに、回想の主体がネコだという奇妙さだ。回想の主体を一貫させるか、いっそのこと回想を真ん中にして、初手の視点と回想終わりの視点とを・別々の者に分担させる工夫があってもよかったはずだ。

 


『穏やかな狂気、激しい錯乱』(Mild Madness, Lasting Lunacy)

player.vimeo.com

 

 


『夜の番人』(The Nigh Watch

player.vimeo.com

★芸達者なつくり手だと言えるだろう。冒頭から構図の取り方からカットの積み重ねまで長編劇映画が始まるかのようだ。またモノクロに色を落とすことで表現の稚拙さ(2Dに落としこむ表現)をカバーする思慮もある。
★それでも猪が廊下を走るときの四足の足運びは見事に空回りしているし、次へ次へと開けていく扉の動きを3Dモデリングをそのまま使用していて興が削がれるし、妻が別の男と『重なって』性交しているときの決定的場面が、なんとも『平べったく』て残念なのだ。主人公の赤い鼻は最初から最後まで赤い必要があったのか。
★表現する力だけはあり余るが、肝心の表現したいものがない作品という趣だ。夢オチという安易な結末しか描けなかった。

 

自傷』(Self Scratch)

player.vimeo.com

★ひとりの女性の、等身大のネガティブキャラと小びと大のポジティブキャラたちとが相争い、助け合い、葛藤しあう。ひとりの女性がポジとネガの声をひとりで演じることでうねりがうまれ、ダイナミックなモノローグドラマになっている。
★アニメーションを成り立たせるマチエール(素材性)を大事にしながら、ネガキャラの硬さ(とがった欠片)とポジキャラの柔らかさ(弾力する身体)を対比させつつ、ただ対立・葛藤するのでなく次第に混ざっていく。かけらは水面の表面になり、ポジな小びとは泳ぎながらネガの指に変わり、闇の中でオレンジに輝くクロッキーになって自分の身体を指でなぞる。両手が自分の身体をまさぐり、衣服をいじる。女性が髪のフケや腋き毛が露見することを恐怖するような描写は女性を縛る(男の望む)女性性をよく伝える。
★否定感情から肯定勘定へとダイナミックに経めぐって、最終的には自足的に引きこもったモノローグで終わらせるのも、自責感情・自傷行為をただエンタメ的にとりあつかいかねた、つくり手の迷いとともにある結末の選択のように見えた。

 

『語らない思い出』(Souvenir Souvenir)

player.vimeo.com

★これが2022年のグランプリだそうだ。
★選考委員はみごとに『ひっかかった』と思う。いま流行りの『ドキュメンタリー・アニメ』である。これを推さないといけないいけないとでも思ったのだろうか。
★スタイルを混ぜて複雑に見せているが、基本はふたつしかない。クロッキーなど何種類ものタッチを混ぜた「現実世界」、もうひとつが主人公のアニメ作家が思い描くアルジェリア戦争パートの「カートゥーン」スタイルのふたつだけだ。
★そしてこの作品が安直なのは、『第三者に説明する』という形を様々なバリエーションで採用しながら、基本一本調子にナレーションをしているに過ぎない。かなり『杜撰な仕掛け』だ。
★ストーリーを推進するすべては『本当の話は・語られ得るか?』(=戦争体験は表現/伝達可能か否か)だが、祖父の間接的な挿話でそれを暗示させ、ラストシーンでふたつの『絵の様式』が曖昧な形で共存させる。
★大賞をとって受賞者はただほくそ笑んだことだろう。

 


『水玉模様の少年』(Polka-dot Boy)

youtu.be

★どの程度ぼくはこの作品のストーリーを追えていたのだろうか。カット尻を急ぐようにつないでいって生まれる切迫感と効果的に不穏で大仰な音響に促されるままに最後まで観てしまう。
★ゴム手袋ととる仕草、紙ヒコーキの華麗な飛行、いよいよ動き出す水玉模様と、要所で見事なアニメート技術を披露しつつ、『AKIRA』の能力者児童たちや『タクシードライバー』のような容赦なく痛快な殺戮劇など様々にアイデア元があるのだろうが、圧倒的にオリジナルに、アッパーに不穏で・明快なまでの不合理さに貫かれた短編ならではの(短編だから辛うじてついていける)世界を呈示している。
★賞には恵まれないタイプの作風だが、不気味なキャッチーさがある。量産してほしいタイプの作家だ。

【質問箱】RE10

  質問箱のサービスに寄せられた質問をこちらのブログサービスにてお答えします。


【質問】
 ジブリ作品でたびたび話題になる「ジブリ飯」。私は風立ちぬのサバの味噌煮が御気に入りですが、石曽根さんのお気に入りはありますか?

【答え】
 わたしも『風立ちぬ』のサバの味噌煮がお気に入りです。宮崎さんの作品に出てくる食べ物は、『千と千尋』の無駄に多いご馳走だったり、『ラピュタ』の洞穴で食べるエッグトーストでも、常に何かしら《特別感》があったのですが、あのサバの味噌煮は《ふだんの食事》感があって好感が持てます。サバを箸で切り分けて断面が見えるところもいいですね。

 


【質問】
 常に何を目標に頑張っていますか?

【答え】
 こんな大それた質問に答えるほど、わたしはさほど大それた人間ではありませんが……
 常に《新たさ》を勝ち得るよう努力しています。
 いまの自分に自足せず、新たな可能性へ開いていけるように努力しています。
 《アニメの・てにをは》論もまだまだ何か新しいものが開拓できるのではないか?そう思って、でもあわてず/のんびりと格闘中です。

 


【質問】
 演出家、脚本家、音響監督、アニメーターの中で、一番作品への影響力や権力を持っているのは誰ですか?どの役割の人が主導で作品を作るのですか?

【質問】
 影響力をもっているのは他にプロデューサーという存在も欠かせませんね。
 《権力》というよりも、《作品のクオリティに関して、最終的に責任を負うひと》という意味ではやはり《演出家・監督》が一番ですね。
 でも、その演出家・監督がベテランか若手かでは、現場での《影響力や権力》のあり方が変わっていきます。
 若手の演出家は、ベテランや古株のスタッフには頭が上がりませんし、プロデューサーとのやりとりでも発言力がいまひとつ、ということもあるでしょう。
  ◆
 ただし演出家がベテランであろうと若手であろうと、製作が進行中のプロセスでは、誰が主導するかはそのときどきです。
 たとえば作画の出来上がりの過程で、そのカットの担当者と演出家は対等な感覚で打ち合わせをします。
 演出家は作品のクオリティに責任を持つ存在ですが、製作の過程では各スタッフと丁々発止で、絶対的権力をもつ存在ではないです。少なくとも宮崎さんや高畑さんはそういう演出家でした。遠くから見えるほどには、絶対的な権力者ではありませんでした。スタッフたちから汲み取れるものを最大限汲み取るべく、威厳は保ちつつ・謙虚だったと思います。

 

 

【質問】
 積極性がないと、アイデアを持っていても、実現しませんか?

【答え】
 この質問にはすこし考えてしまいました。
 ぼくは実際、多少の図々しさでジブリで目立ってしまったりしまったわけで……

 印象的な思い出があります。
 ジブリで開かれたアニメの塾(東小金井村塾)で、終始聞き役だった塾生がある日、友達と一緒に個展をやるという話を聞き、塾の仲間と見に行きました。
 何人かの仲間と共同でギャラリーを借りていて、その一角にそのひとの作品が展示されていました。
 そのひとの人柄をうかがわせる、あたたかな作風の展示物を見ながら、ああ、このひとにはこんな才能があったんだなあと心うたれました。
 塾での関わりでは知ることのできなかったそのひとの、意外な側面を見た思いがしたものです。

 じゃあ、おとなしくしていても、いずれ自然と周りが気づいてくれるかと言えば、しかし、そうですとは言うつもりはありません。

 塾生のひとも、塾の間は黙って聞き役でしたが、ひとりでやる勇気はなくても、仲間と一緒に個展をした。そして個展を開いたからこそ、ぼくや塾の仲間は初めてそのひとの創作の魅力を知ることができたのです。
 そのひとが個展をやることは、そのひとにとっての《勇気》であり、《積極性》だと思うのです。

 この質問をしてくださったあなたは、どうでしょう?
 こうやって《あえて質問する・積極性》を出したからこそ、いま、わたしがあなたに答えるという《事件》が起きたのではないでしょうか?

 《積極性はどうしても必要ですか?消極的なのはダメですか?》とあなたは問いたかったのだと思います。
 でもあなたは、《積極的であることへのためらい》をわたしに《問いかけた》のですが、しかし、《その問いかけ》がすでに《積極的》な行為だったのではないですか?

 なにか詭弁なりレトリックを披露したいわけではありません。
 わたしが言いたいのは、「誰かと比べて・自分は積極的かどうか」ではなく、「あなたの中にある・踏み切ってみる積極性の程度」の問題なのだと思うのです。

 塾生の個展も、そのひとにとっては大きな決断であり、そのひとにとっての積極性のあらわれだったのだと思うのです。
 実際、そのひとなりの積極性がなければ、ぼくはあのひとの才能に気づくことはなかったでしょう。

 あなたもどうか、誰かとくらべてみて、自分には積極性が欠けているのではないか?と思い悩むのではなく、あなたに出来る/決断できる積極性を見出して、それをぜひ発揮してみてください。
 無理な積極性をえらぶ必要はありません。あなたに出来る範囲での積極性を積み重ねていく。その積極性はできることなら、外へ/他のひとへと開かれていることが望ましいと思います。
 その結果、よい出会いがあれば、それを大事にはぐくんでいってください。


 

 

 

 

 

gと烙印/村塾編~【3ー1】村塾の始まり(1)

 月があらたまり、望が大学四年生になった四月、武蔵野横手塾は始まった。
 gのスタジオ内にある会議室で毎週土曜日、夕方からその塾は行われた。面接試験で望がはじめてスタジオを訪れたとき、ひえびえすような気持ちで一段一段のぼっていた階段の、その踊り場から続く中二階にある会議室でその塾は始まるのだった。
 会議室の扉をあけるとすぐ目の前に五段の階段があり、望は室内の様子を不案内に見まわしながらその階段をのぼった。会議室はこじんまりとして、長細い机がロの字型に並べてあった。もう何人か先に到着していて席に座っている。階段をあがった正面と右は窓が大きく外へ開かれていて、残りの二辺は天井までの書棚になっていた。室内は全体をパールホワイトで統一していて、あたたかみが感じられた。
 階段をのぼった先にはひとが立っていて、
「どうぞ、お好きな席にお座りください」
と聞き馴染みのある低く沁みわたる声で言った。面接で案内をしてくれた野宮さんだった。今日も渋くスリーピースが決まっていて、あのときと変わらず柔和な笑みを浮かべて望を迎えていた。望の存在に気づいたもうひとりが、野宮さんの隣の椅子から立ち上がると、望に目礼した。その女性もスーツできっちりと身を固めていて、若造に過ぎぬ自分に丁寧にお辞儀をするので望は恐縮してあわてて首をぺこりと下げた。妙に威厳のある女性だった。
 これから塾は一年間にわたりつづくのだが、このふたりは会議机から一歩退く形で並んでパイプ椅子に座り、終始黙ったまま塾の様子をただ見て、聞いているのだった。このふたりが塾に参加していた役割を、望はいま現在も知らないままだ。
 朴さんが座るはずの会議室正面の席から遠くなるほど席がいい具合にうまっている。望はこういうとき端の席に無理やり座ることはしない。仕方ないといった気持ちで前の方に座る。今回もそうすることにして、書棚を背にした椅子の並びへ進み、正面の席からひと席あけて座った。
 定刻まであと十分ほどある。望は首をめぐらして書棚の本をながめてみた。手にとりやすいところにはg関連の書籍がおさまっていたが、頭をあげて上の方へと目をやると、これはスタジオと関係があるのかな?という本が並んでいる。個人的な趣味で並べた本棚のようだった。
 本をみつめるのも飽きて所在なげに天井の灯りをぼんやり見た。さっきから後ろの席の方で隣り合ったふたりの男性が小声で話をしている。ときどき内輪同士特有のくすくす笑いをたてている。知り合いなのかな。頼りない気持ちで緊張している望には、彼らの笑いはうらやましかったが、でもどうしてああいう手合いは姑息な印象をまわりに与えてしまうのかなと考えて天井を見つけ続けた。その間にも新しく何人も会議室に現れて、徐々に満遍なく席がうまっていった。

 開始時刻から数分遅れて、ようやく朴監督が小階段をのぼって現れた。照れたような笑みを浮かべながら、とんとんと段をのぼって、
「おお、いますねえ」
とひとこと言って、ウヒヒと小さく笑った。面接のときの不機嫌さとは大違いだったので望は意外の感にうたれた。朴さんはそのまま腰を低くして窓際と席の並びとの隙間を縫って、照れた笑いを浮かべたまま正面の席へ向かっていった。
「ええとですね」朴さんは席につくとその照れた顔のまま言った。「これはまあ、何と言いますか、今日はお越しくださってありがとうございます。
 こんな感じで始めちゃって、いいですかね。ふふ」
 朴さんは後ろに控えているふたりの社員に向けて言った。
「ええまあ、この塾はですね、みなさんもご存じのとおり、アニメの演出家を目指す若いひとに向けて、どうすればアニメの演出家になれるかという、まあ、別に目指さなくてもいいんですが。ふふ。まあ、とりあえず、そういう名目にしておいてですね、この塾を始めていこうと、ま、そんな風な塾なのですね、これは」
 朴さんはどこかしら、喜びでうわずったかのような笑いの調子のまま、なんとも締まりのない開会宣言を披露した。
「で、ですね。まあ、最初はちょっと基本的なことを、知っているひともいるだろうけど、知らないひともいるでしょうから、アニメの基本的な仕組みについて、わたしがちょっとはしゃべってみようと思います。
 でもね。それはある程度のところで終わらせようと思うんですよ。
 それよりもね。ここに集まった皆さんが、何を考えてここへ来たのか、世界というものをどう把握しているのか、映画やアニメとどう接しているのか、どうすれば・どんな風にすればアニメってものがつくれると思っているのか、あるいはどうすればそれはアニメになるか。まあ、そんなことをですね、皆さんと一緒に話し合いたい。わたしがこの塾でやりたいと思うのは、むしろそっちなんですよね」
 望は黙って聞いてはいたが、冒頭からのこの意外な展開に内心驚いていた。教えるということを、なかば放棄している。これでは塾生を募った趣旨が外れてしまうのではないか。
 確かに望が望んでいたのは、アニメの仕組みなどではなく、朴さんのものの考え方を知ることだった。そしてその朴さんの考えに対して自分は何を言えるか。そんな場面が訪れることであった。だから朴さんのいまの発言は、望が漠然と待ち望んでいた可能性が全面的に展開されることを言い放っていたことになる。
 しかし望はこの展開にむしろ戸惑っていた。朴さんの宣言は塾の始まりとして、あまりに野放図だと思ったのだ。そっと他の塾生を、望は視線だけで見まわした。朴さんの意図をつかみかねて、微妙な表情になっている者もいた。
「それとですね。この塾はアニメの若手演出家を養成するという趣旨なんですがね、この塾を通っていても、gに就職できるという可能性はまったくないです。それだけは、ここではっきり言っておきましょう」
 場が凍るとはこのことだろう。キンとした空気は張り詰めた。実際望もこの宣言を聞いた瞬間、裏切られたような気持ちになった。
 望もこの塾の募集広告をみたときから塾の合格通知を手にするまでに何度も、これはgで働くきっかけになるのではないかと夢想せずにおかなかった。しかしその都度そんなうまい話があるわけがないと思い、そもそも自分はgの作品に否定的だったではないかと自問し、そうであってもなお、この塾通いがgで働く手がかりになりそうだという期待が湧くのをとどめることができなかった。これがgの磁力なのかと思った。
 しかしその可能性はいま、朴さんの発言で絶たれた。朴さんは続けた。
「というわけでですね、もしそんな甘い夢を求めてこの塾に通うつもりでしたら、全く意味がないですから。そういうつもりで来たひとは、今日で通うのをやめるのを、わたしはおすすめしますね」
 朴さんはいつの間にか照れた調子をひそめ、むしろ誇らしげな笑みを浮かべてわれわれ塾生の前に立ちはだかっていた。


 しかし朴さんのこの宣言から一年後、望はなぜかgへ入社することになる。それは先に言っておくのが読者にとって公平を期すだろう。
 なぜそんな矛盾する事態が生じたのか。
 それを知ってもらうには、望がこの塾で一年間、どんな振る舞いをし、どんな言葉を紡いでいったかを追うことでしか、その答えは解けないだろう。

 

(3-2:村塾の始まり(2)へつづく)

 

 

 

【質問箱】RE~その9

【質問】
 作業してる時ってどんな音楽を聴きますか?】

【答え】
 ジブリにいたときのことをお聞きですよね?
 部署によって違います。撮影、仕上げ、制作デスクは音楽を聴かずに仕事をしています。
 作画だけ特殊ですね。
 みな、イヤフォンをして(当時はCDプレイヤーの時代)好きな音楽を聞いていました。チャゲ&飛鳥を聴く人もいればブランキー・ジェット・シティを聴く人もいる。宮崎さんと近藤喜文さんだけはラジカセで、イヤホンをせず、周りに音が聞こえる形で聞いていました。宮崎さんは音楽CD、近藤さんはラジオを聴いていることが多かったです。イヤホンかラジカセかは世代の差なんでしょうね。
 わたしは作画の部署にいながら音楽は聴いていなかったです。演出助手はいつなんどき、周りのスタッフから注文やお願いが来るかわからないので、音楽を聞いていては仕事になりませんでした。

 

 

 

【質問】
 アニメ、漫画、映画、ドラマのいずれにしろ、その作品の良し悪し(演出面、ストーリー面、構成面などについて)は科学的根拠があって決まる物ではないと私は思いますが、石曽根さんはどのような観点でその良し悪しの基準をつけていらっしゃるのでしょうか?今まで作品をただ面白い・かっこいいという感覚だけで見ていたので、石曽根さんの視点がとても面白く、参考になり気になりました。

【答え】
 アニメの作品としての出来、良し悪しに科学的な証明方法はありませんが、美学的な面では証明が出来る、とわたしは考えています。
 わたしたちが日々接している国産アニメの作り方はすでに半世紀以上の歴史があり、わたしたちも気づかないうちに「見る・作法」(=審美的作法)を心得えているのだと考えます。
 わたしが特に注目するのは、アニメならではの表現です。実写とも漫画とも違う、アニメ固有の表現・美学を見たいのです。
 それを簡単にまとめると、「作用と反作用」、「ひらべったさと立体性」、「同じものと複数のもの」という点に着目した次第です。
 アニメの表現に注目し、その仕組みをシンプルに括り出す「アニメ表現論」はまだ始まったばかりです。まだ未開拓な分野が広大にひろがっていますので、あなたもチャレンジしてみたらいかがでしょうか?

 

 

 


【質問】
 ジブリ時代は会社でどのようなものを食べていましたか?宮崎さんはお弁当を持参して昼と夜二回に分けていたという話ですがスタッフの方々はどうだったのか興味があります。

【答え】
 宮崎さんは『もののけ姫』当時、昼はお弁当を食べていましたが、夕食はどうしていたのかな…?覚えていませんし、昼夕二回ともお弁当なら、あれ?と思ったでしょうから、おそらく他のスタッフと同じ仕出しを食べていた可能性が高いです。
 外へ食べに行くひともいたし、家が近所なので帰って食べて休憩してからスタジオへ戻るというひともいました。
 『もののけ姫』の追い込みどきは、演出助手だったわたしはスタジオを離れるわけにいかず、昼夜を店屋物を頼んでいて、おかげで半年の間に5キロ太りました。

 

 

 

 

【質問】
 フォローされてる方とフォローされてない方の差は何でしょう?私はフォローされてなくて、友達はされていて、ちょっと悲しいです。

【答え】
 ごめんなさい。こればかりは主観的な判断で決めています。
 プロフィールが面白かったり、しっかりしたことを書いているひとは信頼感があり、フォローしやすいです。
 また、いいねやリツイートのアクションの多さで覚えているひともフォローします。
 それでも、TLを見ているうちに、自分の感覚と合わないなあと思ってしまうと、フォローから外してしまいます。
 でも、そんな残念がる必要もないと思います。わたしはそんな大それた人物ではありません。ジブリに関わったひとなど、世間にごまんといます。わたしはそのひとりに過ぎません。わたしも急に注目されて戸惑っている、ただの中年男です。
 ひとが群れ集まると必ず起こる、些細なすれ違いだと思って、勘弁してください……

 

 

【ネットの記事、ぼくはこう思いました】

準備中

 

元記事はこちら。

【ネットの記事、採録しておきますね】 - gと烙印(@アニメてにをは)

 

本人の立場で書き直した記事はこちら。

【ネットの記事、書き直してみますね】 - gと烙印(@アニメてにをは)