gと烙印(@アニメてにをは)

ジブリにまつわる回想、考察を書いていきます。

gと烙印:01/01スペードのクイーンを切る(その1)

 いまこの文字が記されているのが、紙の上かそれともサイト上なのかわかりません。
 紙かウェブか決まっていないのでは、書いていく調子がいまひとつつかめません。
 迷っていますが、これはただの個人が所有するPCの中に、ただ埋没しているものとして割り切って書くことにしましょう。
 これからぼくは回顧録を書いていくのです。
 何を回顧するかというと、ぼくがスタジオジブリで働いていたことと、スタジオを辞めたあとの自分のことをです。
 ぼくはスタジオジブリで演出助手として働いていました。
 より具体的には『もののけ姫』(九七)と『ホーホケキョとなりの山田くん』(九九)の制作に携わっていました。
 しかしぼくは、ジブリで二年間働いて、深い絶望とスタジオに対する嫌悪感をいだいて会社を去りました。
 それから二十年以上のときを経て、ぼくはジブリの作品を中心に論じたアニメの論考を書き終えました。皮肉にもその論考はジブリの雑誌「熱風」で令和三年の一年間、連載されることになったのです。
 ◆
 この話の切り出し方に、ぼくをよく知っているひとなら、オヤ?と思うでしょう。
 ぼくと接するとき、ジブリの話題を持ち出すのは、とてナイーブなことだと知っているひとたち。
 どうしたんだい?と言うでしょう。
 こんなストレートな切り口で、いったいどうしたんだい?
 理由は簡単です。
 いままでぼくがジブリの話を持ち出されて不機嫌になったり、いらだった口調になったのは、面識のないひとやさほど親しくないひとから、たとえば廊下でのすれちがいざま突然振り向いて、
《イシゾネさんってジブリだったんですよね!?》
と野次馬根性まるだしで訊かれるのにほとほとうんざりしていたからです。
 知らないひとから突然「ジブリだったんですか?」と聞かれたのはこの二十年で数百回ありました。
 まるで汚名を負わされたわたしを、残酷にニタニタと笑いながら追及しているのか?という心地に、そのたびになったものです。
 しかしようやくわかってきたこともあります。
 親しいひとやこれから親しくなるひとに向けてなら、ぼくはジブリの話をするのは決して嫌じゃないのだと。
 自分でもよく解きほぐせないあの「体験」を、ゆっくりと順序だてて話すことにあなたがつきあってくれるのなら。
 だからここは臆せず、ストレートに切り出す形で話を始めましょう。
(01、その2へつづく