gと烙印(@アニメてにをは)

ジブリにまつわる回想、考察を書いていきます。

gと烙印:第1回~焼きごてのような思い出(その4)

 でもこの《嘘人物=吉田自由児》に、本当にジブリに選ばれるって、過酷なんだよ、と同時に言ってやりたいです。
 ジブリの虚飾にへいこらするのでなく、ジブリと本当に創造的に関わるってどれほど大変ことか。
 ベテランのスタッフならともかく、まだ大学を卒業したての若者にそんな過酷なまでの創造性を求めるのって、ジブリもまあひどいことするよねと、あれから四半世紀も経ちぼくも老年の域に入ってようやく、諦めるような気持ちで思いだせるのです。
 でもぼくがジブリで人生狂わせてしまったのも、ジブリのひとびとにその責を全て負わせるのだとしたらそれはそれで嘘になります。何しろぼく自身がジブリを焚きつけた側面もあるのですから。
 ジブリが主宰する演出家養成塾なんて、どんな若者が集まってくるか、いまならたやすく想像できます。ジブリの作品を愛し、ジブリの創造主を崇める、それがデフォルトなのでしょう。
 ぼくが後にジブリに雇われる結果になった一因は、明らかにそういうデフォルトを無視してスタジオに登場したからでしょう。
 あの塾にあって、ぼくはもう初めから、存在そのもの《異質》だったのでした。そのうえ、言ってることに説得力があったのであれば、《悪目立ち》するのも決まっていたようなものでした。
 確かにぼくも十代の思春期のころはいっぱしのジブリ信奉者でした。しかし大学に入り上京し、古今東西の映画を浴びるように観て、大学の講義では批判的知性を身につけたとき、世の中にはジブリよりすごい作品なんてごまんとあるのだと、目が覚める思いになって、新しい可能性を追い求めて鑑賞と思索を繰り返す毎日でした。
 だから新聞の広告欄の隅に、東小金井村塾塾生の募集を発見し、塾長は高畑勲だと知ったとき、大学の四年間で変化した自分が、アニメ界随一の論客と言われる高畑勲と出会ったなら、どんな議論を交わせるか試したい、そう思ったのでした。
(その5へつづく)