gと烙印(@アニメてにをは)

ジブリにまつわる回想、考察を書いていきます。

gと烙印:第1回~焼きごてのような思い出(その8)

 とは言え、ジブリで働いていてよかったな、と思ったのは上下関係に関してリベラルなところでした。「宮崎監督」ではなく「宮崎さん」とスタッフのみなが呼び、「鈴木プロデューサー」でなく「鈴木さん」と、一切敬称を略して呼んでいました。
 上下の関係なく「さん付け」で呼び合う。むしろ現場内での・スタッフ間での上下関係を、ことさら助長すまいとするような戒めすら働いていた現場だったことは、いまではぼくはかけがいのない経験をしたと思っています。
 逆にそういうリベラルな呼び合いの文化に馴れてしまっていたので、スタジオを辞めて大学院に進んでから、飲みの場で教授のことを「何々さん」と呼んでいたら先輩院生から大目玉をくらったりしました。そう言われて正直「ちぇっ、なんぼのもんだい」と思いながら敬称で呼ぶようになりました。
 なのでいまでもぼくはジブリのことを話すとき、宮崎さんと言い、高畑さんと言うようになっています。ひとによってはそれを、なれなれしい、図々しいと思っているかもしれません。でも働いているとき実際そう呼んでいたのですし、辞めたからといって交流がまったく途絶えたわけでなく、辞めてから二十数年で数回スタジオを訪れて宮崎さんや鈴木さんに会って話をする機会があるので、なおさら従来どおり「さん付け」で呼ぶののがぼくにとって自然なのです。
 ジブリのことを聞かれて話をするときに、自然な気持ちで「あのとき、宮崎さんが……」と言うとき、相手のひとが違和感を浮かべた表情をするときがあります。自分とぼくとでジブリへの距離感がそもそも違うこと、それを呼び名で感じ取っていることが様子で察せられて、あわててぼくは「宮崎駿というひとは……」などと、かえって変に慎重な呼び方をしてしまったりします。
 玉井夕海さんの話にもう一度もどしましょう。
 玉井さんは役者ですから、映画での役柄についてふれるのはともかく、その映画そのものと関係の必然性がないままに、村塾出身であったり、宮崎さんを恩師と呼ぶのは、本当に積極的に、自ら進んでそうしているのかなあと半信半疑に、チラシを裏返しながら思ったものです。
 もしかしたら映画のプロデューサーなりが「そこを売りにしなきゃ」と言われてそうしている可能性もなくはないのです。
 いったんジブリに関わったひとは、まず半永久的に自分の属性に「ジブリ」が冠として課せられます。たいがいは本人の意向と関係なく。
ジブリだったイシゾネ」みたいな。
 多くの場合、その冠は第三者から見れば栄光の冠かもしれません。
 が、本人にとってはいまいましい茨の冠だったりします。
(第1回おわり。第2回へとつづく)