gと烙印(@アニメてにをは)

ジブリにまつわる回想、考察を書いていきます。

gと烙印:第1回~焼きごてのような思い出(その10)

 ぼくは知的あるべきひとたちの生理的な拒否反応にがっかりしましたが、手応えも感じていました。
 ジブリで鍛え上げた「眼」も、わたしはジブリ出身ですと虚飾で自分を包まなければ、理解すらしてもらえない。しかしそういう「未知の眼」を自分は得てしまったのだと。
 あの学会で「わたしジブリです」と言っていたらどうなっていたでしょう。
 ささいな経験をひとつ挙げてみましたが、ある種のひとびとは「ジブリだった」ことを態度を一変させます。その変貌を目の前で見ていると、いやなものを見てしまったなと思います。そのひとの俗臭を嗅いでしまうわけですから。でもその原因は自分の出自にあるのです。だからそれはそれでやりきれない気持ちになるのです。
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ジブリである」ことはほんとうに不思議です。世間で有名な職場であろうとこれほどインパクトを与えないかと思います。
 ぼく、財務省のキャリアなんだけど。
 オレ? フジテレビで働いているよ。
 わたしが勤めているのは三菱です。
 それに比べても、ぼくジブリだったんだ、明らかに違う。
 じぶんが実際身を置いておいたいたとしても、こんなことを言うのは何ですがスタジオジブリとは「現代の神話的な空間」なんだろうと思うのです。
 ジブリを辞めたころは、あと十年もすればジブリはさほど評判の存在ではなくなるだろうと高をくくっていましたが、どうもそう都合よくはいかないようです。(つづく)