gと烙印(@アニメてにをは)

ジブリにまつわる回想、考察を書いていきます。

gと烙印:第1回~焼きごてのような思い出(その10)

 玉井夕海さんに限らず、なんらかの形でジブリに関わったひとたちは、「わたしジブリです問題」にどう処しているのでしょう。特にそれ以上にキャリアに箔がない場合。
もののけ姫』のアシタカの声をやった松田洋治さんはあるインタビューで、どれだけ役者のキャリアを積んでもいまだにアシタカ役を言挙げされていまいましい思いをしていることを率直に語っていました。その気持ちはいたいほどよくわかるのです。
 端的に言ってぼくにとってジブリとは、自分というものに刻まれた異物としてあります。それをひとに開陳すれば当然それは心地のよいジブリ話ではなく、なんとも厄介で幾重にも屈折した話になるでしょう。
 もうあの会社を辞めてから二十年が経ちます。それでも外出して買い物をするたびにその店内でかかっているBGMにジブリの映画音楽が必ずと言ってよいほどかかります。それはぼくにとって心地のよいBGMであるはずもなく、じぶんのなかで解消できていない胸苦しさが嫌悪感とともに呼び起こされるのです。
 そのたびに、まだ終わってはいない、と思うのです。
 だからぼくはジブリの体験とその後の生を「gの烙印」と呼ぶのです。gであって、ジブリ、と言いたくないのです。gとアルファベットで暗示させるのは、ぼくと心理的な葛藤との間に緩衝する膜で隔てておきたいからです。
 BGMを耳にするだけで呼び起こされる胸苦しさと、体感としてよみがえり全身を深く焼きごてのように刻まれた思い出の数々。
 ◆
 ぼくのこの口ぶりに自嘲であるにしても、自慢がひそんでいはしないでしょうか。
 その誤解、誤解なのでしょうか?、は払拭したくて書いているはずなのですが。
 あなたに親密さを込めてぼくの苦しさを再現するように語る。なかなか難しい課題です。
 そうであってもまずはここから始めるしかないのです。
(第1回おわり。第2回へつづきます)