gと烙印(@アニメてにをは)

ジブリにまつわる回想、考察を書いていきます。

gと烙印:始まり00【長文で/まとめ直して】

1.前口上
 いまジブリから発行されている雑誌「熱風」にて論考「アニメの『てにをは』事始め」が連載されている。来年の3月で完結。
 2021年12月現在、編集部は来年1月号を編集中で、執筆者のひとりであるぼくは残りの2月号、3月号の原稿を直している。
 その最後の宣伝になればと思ってツイッターで( @animeteniwoha )個人的なジブリ回想をつぶやいてみた。
 やってみて「これは遅かれ早かれ炎上しかねないな」と気づいた。
 短い言葉の連なりで、文脈から簡単に切り離されるだろう片言はいともたやすく誤解を生むと思った。
 ならばと考えをひるがえしてみた。同じ言葉の連なりをたとえば4,000字のなかに埋め込んだらどうだ。悪くないと思った。
 そしてこの作業は始まった。

 これから始まる、ジブリに関わる長い長い回想はすでに世界の片隅で発表されていた。これはその書き直しである。
 フェイスブックを10年ほど前に始めてからしばらくは何も投稿することがないと思って放っておいたところ、何が機縁か覚えていないが、ある日これなら書けるかも知れないと思って、ごく親しい友人にだけ向けて書き始めた。
 それから2~3年かけて、不定期ながら毎回話題を限定して書き進めてきた。それでも一回ごとにとても長い文章になった。今回、常識的な範囲内にするべく一回の分量を数回に小分けして掲載させてみることにした。フェイスブックの連載としては三十数回を数えて止まり、そのまま数年が経っている。
 10年前、これを読み始めたごく少数のひとも、今ではこの記事の存在は記憶の外へと押し出しているだろう。
 試しにこの第一回目のテクストをファイルから立ち上げてみた。
 ほどよく距離感をもって読めた。書いた当時は難しく思えた直しもできそうな予感もあった。
 実際に手をつけて直しはじめると、いままでだったらこうはしなかったろうなという文章の新しい工夫がでてきたが、それはとても細かい語句の修正なのでぼくだけが個人的にわかる変化でしかない。
 そういう変化を積極的に埋め込みたいという思いもでてきた。結果、どこまで続くかこころもとないが、それでいて定期的な更新にするつもりは最初からなく、この「gと烙印」と再度出会い直してみる「書き直しの旅」にしたいと思った。
 というわけで、まずはその最初の成果、第0回目をここにお届けします。

2.助走のような文章
 この投稿を始めるにあたって、ちょっと勇気はいりました。
 アイデアが盗まれる、個人の経験が流用される。そういう恐れはあります。
 でも、ぼくがこれから披露する体験話は、ほかのひとにはおいそれと真似のできないオリジナルな体験であることには自信があるのです。
 そしてぼくの経験を盗むひとはぼくが公開しているエピソードしか盗めないのですが、連載から漏れているジブリエピソードはぼくの頭のなかにはまだまだ沢山あるわけで、だから未公開なエピソードまでは盗むひとは盗めないのです。
 それがオリジナルであることの絶対的なアドバンテージなのでしょう。

 これから展開する話は長くなると思います。
 ぼくは元の文章を小刻みに切り刻んで、読みやすい量でお届けするつもりでいます。それでも一般的な/常識の範疇からはずれて長くなるかもしれません。
 ネットの発信がいよいよ影響力がつよくなってきて「短く簡潔に」が文章の良識のような錯覚がまかりとおっているのが不思議でです。
 文章の長い道のりを、紆余曲折ありながらよたよたとたどった果てに、はじめて見えてくる《思惟の像》というものはあるのだと思います。ぼくの文章がそういうことを実現できてるとまでは言いませんが、そのとばぐちには立っているのだという自負は、もう表明してもいいのかな?と思ってこれを書いています。
 ジブリのことに一切ふれない文章になってしまいましたね。
 しかしそうならざるを得ないほどに《gであること》を語ることには多くの前提となる屈曲を経ないといけないのでしょう。
(この項おわり、01/01へつづく)