gと烙印(@アニメてにをは)

ジブリにまつわる回想、考察を書いていきます。

◆gと烙印◆【02~語り直し】(その3)

 あまりに抽象的な物言いが続いている。
 ここでいま集中的に考察しているのは、ジブリというアニメスタジオに身を置いた二年あまりの経験を、瞬間的に/凝縮していく極小のイメージへと圧縮しようとする試みの、その前提/前哨戦であることを言っている。そう書けばいささか読む者にも助けになるだろうか。

《しかし、あの経験は果たして記述可能か不可能なのか?》

 もちろんあの頃スタジオにいた体験を小説化するというプランは、いまだに「あり」だと思っている。それはつまり、あの体験が小説という形を借りれば「ある側面では」記述するのは可能だと思うのだ。
 にも関わらず、あの体験をどう記述していいかわからない、というのも正直な思いなのだ。
 それは記述可能か不可能か。あるいはそういう問いの立て方そのものが、ぼくのケースの場合、間違っているのではないか。
 むしろこういう風に説明したらどうだろう。
 あのころ「渦中にいた」経験を「全面的に」記述できると、当時のぼくは思っていた。しかしこの体験が、その後の「渦中ではなくなって」別の位相の経験を重ねていった結果、「あの体験」は別の彩りへと変わっていった。だからいまや「この彩り」でしか見えない「あの体験」を、「あの彩り」のままに追体験することが不可能になった結果が「もはや記述が出来ないことになってしまった」そういう事態が起きたのではなかろうか。
(もちろん、この「現在の・別の彩り」は「当時の・あの彩り」のただなかにあっても、潜在的に/身をひそめるように、あの当時のぼくの眼の届かないところに浸食を始めていたのだろう。あるいはそれが目をよぎっていく瞬間もあったと思うし、そのときぼくは渦中にあって、一瞬よぎった「そいつ」を見くびっていた節がある。)(02はその4へつづく)