gと烙印(@アニメてにをは)

ジブリにまつわる回想、考察を書いていきます。

gと烙印【その2~語り直し/長文のまま読みたいひと向け】

  さて今回始まるこの文章は、もう十数年前、2000年代前半ころに書いて、大学院の仲間たちに読んでもらい、その反応を探るのが目的だった文章の掘り起こしです。
 だからいわば、もうひとつの「gと烙印」の始まり、になるはずだった文章です。
 「なるはずだった」とは、この文章を書いてしばらくして(この文章が原因ではないのですが)在籍していた大学院の研究室から実質上追放されて、すごいトラブル(このこともいつか小説にしたいくらいのドラマ)に巻き込まれて、この文章の存在や続きなんか、脳内からぶっとんでしまったのでした。
 前回の書き出しとはずいぶん文章の調子が違うと思います。
 比較の意味合いも兼ねつつ読んでいただけたら面白いかもしれません。こういった口調でしかジブリのことが書けないときが石曽根にもあったという、ドキュメントな面白さもあるし、あるいは、あの段階でなければ出てこなかったユニークかつ端的な表現も読めるでしょう。
 語り直しという変則的な始まりも、まさに始まりだからこそ起こり得る、新たな/別の「gと烙印」の可能性(いまや後戻りできない不可能性)として、うまくはまらないパズルのピースのようなもどかしさを感じながら、読んでいただければうれしいです。

《「G」の烙印(a)~語り難い物語》
 自省的ないしナルシスティックと言われようともかまわない。
 ぼくの生きた行程を、ひとつの未完の物語のようにして考えを巡らすようになったのは、いつからか。
 それはずいぶん昔からのことのように思いこんでいたが、いまあらためて振り返ってみると、それはぼくの人生が、物語として語るには不可能になったまさにその瞬間から始まったことに気づき、キーボードを打つ手も止まり、呆然とする。
 それはつまり、言い方を変えれば、こういうことだ。
 もはや物語の形で記述することが不可能になった段階になってはじめて、ぼくは己の人生を物語として見ようとする欲望に目覚めたのではないか。
 しかしその気づきの瞬間からだいぶ時間が経った。
 おかげでこうやって冷静に、あのときの自分を振り返り得るのだ。あの瞬間ぼくは、生の新たな局面が現れた/あるいは物語にふさわしいときが到来したのだとなかば狂喜していた。そう、一編の異様な小説が立ち上がりつつあるのだと。
 その瞬間の感触は、その瞬間からたちまち時間が過ぎてゆくにつれて必然的に起こるであろう経験の摩耗を経て変化していった。
 読者の理解を得るべく再度言い方を変えると、実際あのときぼくは、自分の人生ではじめて一編の小説にふさわしい材料が眼前に顕現したのだと思っていた。しかしその局面の貴重さに気づかぬまま、そのときどきの対処すべき些事に処理を優先していた結果、あの瞬間を想起しても、もはや記述し得ないものになっていたことにある日気づいたのだ。そう形容し直してみるとやや正確かもしれない。

 あまりに抽象的な物言いが続いている。
 ここでいま集中的に考察しているのは、ジブリというアニメスタジオに身を置いた二年あまりの経験を、瞬間的に/凝縮していく極小のイメージへと圧縮しようとする試みの、その前提/前哨戦であることを言っている。そう書けばいささか読む者にも助けになるだろうか。

《しかし、あの経験は果たして記述可能か不可能なのか?》

 もちろんあの頃スタジオにいた体験を小説化するというプランは、いまだに「あり」だと思っている。それはつまり、あの体験が小説という形を借りれば「ある側面では」記述するのは可能だと思うのだ。
 にも関わらず、あの体験をどう記述していいかわからない、というのも正直な思いなのだ。
 それは記述可能か不可能か。あるいはそういう問いの立て方そのものが、ぼくのケースの場合、間違っているのではないか。
 むしろこういう風に説明したらどうだろう。
 あのころ「渦中にいた」経験を「全面的に」記述できると、当時のぼくは思っていた。しかしこの体験が、その後の「渦中ではなくなって」別の位相の経験を重ねていった結果、「あの体験」は別の彩りへと変わっていった。だからいまや「この彩り」でしか見えない「あの体験」を、「あの彩り」のままに追体験することが不可能になった結果が「もはや記述が出来ないことになってしまった」そういう事態が起きたのではなかろうか。
(もちろん、この「現在の・別の彩り」は「当時の・あの彩り」のただなかにあっても、潜在的に/身をひそめるように、あの当時のぼくの眼の届かないところに浸食を始めていたのだろう。あるいはそれが目をよぎっていく瞬間もあったと思うし、そのときぼくは渦中にあって、一瞬よぎった「そいつ」を見くびっていた節がある。)

 いったいこの抽象的な物言いは何だ?と思われるかも知れない。本題はいつ始まるのだ。
 そういう声が聞こえそうである。
 その非難に対してはこう答えよう。
 たしかに一見迂遠にも見える行程(物言い)だが、このような迂回を経てこそ初めて見えてくる景色があるはずなのではないか。もちろんもっと直線的に進む近道があるのは、ぼくも知っている。多くの者、もっと言ってしまえばほとんどの者が選ぶであろうその近道/ショートカットを介して話し始めれば、多くの読者にはするすると理解が可能だ。そしてともすればその話の多くはすでに知っている話だったりする。
 例え話をいれよう。
 ジブリというスタジオ空間のなかは、一般人のほとんどは立ち入れない。しかしスタジオの中がどうなっているかは、多くのひとが知っているのではないだろうか。実際宮崎駿が新しい作品を作るたびに、ドキュメンタリーをつくるためテレビスタッフが入っている。だからひとびとはスタジオに入れなくとも、その内部をイメージとして知っている。「直線的な近道/ショートカット」とはこのことだ。お互いの共通理解に沿っておおざっぱでイージーな語り方を採用すること。
 しかし一方で、誰とも比較できない独自の獣道をたどってはじめて目撃した「スタジオの景色」を読者の前に立ち上げるには、時間をかけて/忍耐づよく、スタジオとぼくとが触れ合ったあの地点/瞬間へと遠く遠く遡らないと見えてこない光景なのだ。

 しかもこの迂回を経てさえも、ぼくが当時体験したあの風景の/あのアングルをそのまま簡単に/再びたどれるわけでないことはわかっている。
 あの瞬間/あの当時を書きつづることの「語りがたさ」が多少は伝わっただろうか。
 それに対しあなたはこう言うかもしれない。
 「構想」だろうが「小説」だろうが、もったいぶってどうなる?オレが興味があるのはもっとわかりやすく「あのこと」を知りたいだけだ。これから始まり、読み取られるのはジブリのスキャンダル?そうかも知れない。そうにしか読めないひとは確かにいるだろう。
 しかしそうでなく、誠実にぼくの体験を追おうとするひともいるだろう。そうであってもこの物言いは何を読まされているのかわからない、そういう感想は多いだろう。
 だから以下に続く文章でぼくは、わざとずばりとテーマに切り込んで語ってみようと思う。
 
 ぼくはジブリで働いていた。
 日本で知らぬ者がいないと言っても大げさでない、日本の創造性を代表するような、あのアニメスタジオでぼくは働いていた。
 そしてそのスタジオに住まう、この人物もまた日本で知らぬ者がほとんどいないような宮崎駿がぼくを目の前にして言ったのだ。
「お前には才能がある。だからジブリに入るんだ」
 そう言われたのでぼくはジブリで働くことになったのだ。

 こうわかりやすく書き始めることは、逆にぼくには枷となって後々までその「不自由さ」に呪縛されることになるだろうと予感している。
 この書き方は誤解を生み、その誤解を解くようぼくはあわてて道草のように道の各地点に座り込み誤解の雑草を抜いていく。それでもショートカットを進めば進むほど、通り過ぎた背後に誤解の雑草たちがざわざわと音を立てて生え揃っていくのだ。
 それでもこの誤解の雑草を茂らせてみるように、あえてこの直線的に貫く「わたしのジブリの履歴」を語りつづけてみよう。
 そうするのも、下世話に興味本位で読み始めたひとに「あらすじ」を提示して「こんなの、これが最後ですからね」と告げて、そのひとに立ち去ってもらうためだったりする。
 そのためには幾分傲慢とも目立ちたがりとも誤解されようが、ひとわたり書いてしまおうと思う。実際この25年間、ジブリのイシゾネに興味本位で接近したひとびとのほとんどが、以下に記す事情も知らぬままに興味を満たして去ってしまったのだし。(この項、おわり)