gと烙印(@アニメてにをは)

ジブリにまつわる回想、考察を書いていきます。

gと烙印:その10~流れに任せて書いてみたら(その3)

 十数年前の37歳くらいに、想像力が衰えてきた、自分が後生大事に抱えてる物語が増殖しなくなった、という記憶はある。

 そう言えばアニメーション制作会社時代、二年間かけて一本の、100分から120分のアニメの絵(画面)を作る仕事に携わった。この「遅さ」もすごい。
 ちなみに「もののけ姫」最後の半年間、僕は休日なしだった(他のスタッフは違ったのに……)。
 朝9時半に来て、帰りが夜2時過ぎの半年間だった。
 ジブリはアニメ制作会社には珍しく徹夜労働禁止で、でも、真夜中に自転車で15分のアパートに帰って家事をし風呂に入って寝るのは早くても3時過ぎ。朝は8時半。あ、5時間は寝てるか。昼食、夕食は毎日店屋物。というのも、もうスタジオを離れられない段階に来てるから。連日連夜の油たっぷりな店屋物のおかげで、ここまでの生涯で一番体重が増えた時代。
 ストレス過剰で頭の中が何が何だか分からない状態になりながら、出来上がったセル画を繰り返し繰り返し見返してチェックミスがないか、究極の「間違い探し」を仕事としてやってたとき、ドワーっと頭の中を色んな経験が押し寄せて今この瞬間に収束していくのを感じ、何かが分かったような感覚に襲われた。
 「これが労働だ」そう思った。そのなにが労働なのか、それを言葉にしたくて大学院へ行ったのだけれど、十年かけても言葉にならなかった。いまも言葉にできない。説明できないでいる。もうあの感覚の記憶が風化した。でも、惰性のように思われようが、あの労働の感覚にこだわり続けている。

 漫画にしろアニメにしろ絵を描く作業というのは、日常生活を喰い潰す性質のものだと思う。
 労働条件、労働環境をいくら整備しても、この作業・仕事・労働は必ずそれを踏み抜いてしまう。
 よくよく考えたら、労働の条件やら環境やらといった労働上の福祉って、近代的な考え方だ。けど漫画にしろアニメにしろそれは家内制手工業の時代だ、いまだに。近代的な考え方には馴染まない働き方なんだなあと思う。
 車メーカーのフォードから発祥するフォーディズム、つまり流れ作業を労働内容にしながら、でも「ああ野麦峠」みたいなことにはせず、働いている人間にもそれなりの生活を楽しめるよう金銭的な還元・福祉的な保障を配慮する、という近代的な製造業に、アニメや漫画はそもそもなれるのだろうか。
 考えられるのはアニメだったら「サザエさん」、漫画だったらさいとう・たかをプロだろう(実際はどうか知らない)。

 アニメ「ドラえもん」もそうかも知れない。劇場版ドラえもんを作るとなるとそこのスタッフは「ボーナスの季節が来た」と言うそうだ。やる作業(手間)はいつものテレビと一緒なのに興行収入ぶん、濡れ手に粟的な感じでボーナスが出るんだそうな。
 確かに一般の会社員も普段と同じ仕事をしているのに定期的にご褒美が出るものな。でもアニメ界だとそれは本当に濡れ手に粟的な「よこしまな収入」のように、少なくともジブリのスタッフたちは愚痴っていた。
 ジブリフリーランス以外は「スタッフは固定給」という、アニメ界では珍しい部類のことを(旧習ではなく、率先して)やっているのだが、その固定給会社生え抜きのスタッフが、「ドラえもんボーナス」=「余計に働いてないのにご褒美がもらえる」ことに嫌悪感を抱く辺りが面白い。
 つまりこの業界では一般的な「歩合給」の考え方が、労働倫理として業界的に染み付いてしまうから、「特別なことをしてないのに、ご褒美」に嫌悪感を抱く。
 それがいい悪いと言っているのではなくて、労働の業種が違えば労働倫理がこうもその業界の趨勢に従っていく。
 その労働倫理と自分が属している固定休会社のあり様とが違っているにもかかわらず、業界趨勢な倫理に従っている、というのが不思議というか面白いと思ったから書いてみた。(その4へつづく)

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