gと烙印(@アニメてにをは)

ジブリにまつわる回想、考察を書いていきます。

gと烙印:その10~流れに任せて書いてみたら(その6)

 高畑さんが企画を考えるのに気乗りしないから、高畑さんの社時間はいつも昼過ぎまで遅刻。結局来ない日もある。やることのない僕は業を煮やして自由な行動に出た。出勤してタイムカードを押し、下っ端演出助手の仕事のひとつ社内の清掃をして、10時の皆さんの出勤を待つ。そろそろスタッフさん出揃ったかなと思った頃に、会社を出て、自転車で数分のところにある区民図書館に行き、昼過ぎまで読書する。
 さすがに二週間続けていたら制作デスクに注意を受けた。外出して何している、と問われて、あそこの図書館で本読んでました、と(あまり悪いような気がしないで)答えると、デスクは苦渋の顔で
「うん、まあさすがに長時間席を外すのはまずいから、会社にはいてくれ」。
(高畑さんがあれだからなあ、やること何もないもんなあ。お前さんがそうしたい気持ちよく分かるんだけど、ここは立場上こう言うしかないんだよ)、
 もうお互い気質を知り合ってる同士。「分かりました。気をつけます」。

 まあそんなズルいことを以てして「何でもやれた」ということではありません。デスクがどこへ向けて渋い顔していいか分からない状況というのは、一番自由過ぎるのが船頭の高畑さんで、「この人にまた社の存亡をかけるのか」というデスクの渋い顔でもあったりする(デスクさんは勤続十数年の猛者)。
 そんなシチュエーションを振り返ると「なんちゅう面白い時間を過ごせたんだ」と思う。

 宮崎さんのこと、「もののけ姫」のことばかり聞かれる。
 でも面白さは高畑さんも、「山田くん」も半端ではない。

 自由すぎて怖さすら覚える高畑さんのほうが演出家として破天荒だと思うし、「山田くん」は見た目の地味さとは裏腹な前代未聞なデジダル技術の使い方を「発明」したり、あれこれとにかく、ハラハラドキドキさせられながら最後にはアッと驚かせる回答を結果として出した。

 アニメ好きの人には申し訳ないが、高畑さんの作品のすごさは制作過程に実際付き合わないと分からない。僕も観客だった頃は、作品が公開されて、スタッフのインタビューが出て、「こんなすごい新しいことをやってのけた」と高畑さんを絶賛するので、実際映画で確認していた。「そんなすごいことかなあ」と。「想い出ぽろぽろ」の、若い女性キャラが笑った時に頬に刻まれる皺とか。

 観客の立場では、「その作品で創造・発見されたこと」は「後追いの確認」でしかない。制作に、特に企画準備から携わったスタッフは、発見・創造のプロセスに立ち会う。
 高畑さん自身が見えていない問いを立て、周りはどうなるんだろうと焦りながらアイデアを必死に投げかける。一向に見えない解に高畑さんが手探りで何かを試してみようとモゴモゴと要領を得ない指示をスタッフに出す。ダメだったりする。何だかよく分からないままスタッフは言われるままにあれこれやり続ける。そして、どの瞬間見えるのだろう、その回答が。

 僕の場合、最初のテストカットがスタッフルームで上映されたとき。
 セルの色付け、背景も描いて撮影し、フィルムになる。それはあくまでテストだ。これが使えるかどうかなど分からない。けどスクリーンに映し出されたものを見た瞬間、「ああ、そういうことだったのか」と一気に思い知らされる。一年間かけて一カット。しかもテストカット。公開までにあと一年と三ヶ月。1カット。テストカット。

 でも高畑さんには分かっていたのだと思う。確信できたから最後の工程までかけてフィルムとして全スタッフに見せたのだと思う。
 これはテストカットではない。この映画の、最初に出来た、完成した1カットなのだと。実際このテストカットは本編に使われた。

 後付けな理屈でいま言うのではなく、一年間グダグダわけのわからない問いを自問自答していた高畑さんの理由が、最後の最後に、つまりフィルムとして出来上がるまで想像ができず、でも見せられたら「ああ、そういうことだったのか」。(その7へつづく)

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