gと烙印(@アニメてにをは)

ジブリにまつわる回想、考察を書いていきます。

gと烙印:その10~流れに任せて書いてみたら(その13)

 でも憎まれ口はおいといて、自分には関係ない見方をわざわざ詳細に分析してバッサリ念を入れて斬る必要はあまり感じない。自分が肯定的に思える見方をくっきり浮き彫りにしていけば、ネガとしてそれは僕にも相手(聞き手・読み手)にも説明できるように自然となっていく、と思っている。
 とはいえアニメ論客たらんとする個人的な道程から照らしてみると、この『アニメ夜話ガンダム特集号』の出会いは大きかった。これを読んでからは、書店に並んでいる新しいアニメ評論本、アニメ雑誌を見つけると、立ち読み状態でページぱらぱらとめくっていって、その語彙のところどころの配列で「あ、これは僕には関係ない本だ」というのがすぐ分かるようになった。その結果、研究出費もかなり抑えられた。
 それほど、この本(というか冊子)は、オタクのコアな熱意が最大瞬間風速的に自分の身体を突き抜けたのを感じ取れた。その感じがいいと思うかどう思うかは読む人次第なだけで、でも自分の知らない世界をその本を読んでいる間だけ生きることが出来る、そういう本はやはりいい本なのではなかろうか。
 どういう筋道を辿ったら話がこんな風なところに行くのか。

 今回はあえてつまらなく書く、つまらなかろうと書きたいことを書く、相手が辟易するならばそこで読むのをやめてもらえばいい、ただしなるべく不快な物言いは避けよう、そういう基準で今回は書き始めた。
 気付くと、今までになく情報量豊富だ。
 相変わらず外堀を埋める感ではあるが、僕が考えているアニメ論の具体像がいままでになく書けもした【注釈:この文章を書いていた当時、わたしのアニメの論考はまだ手をつけられてさえいなかった)。
  しかしもっと根本的にアレ?、と我ながら矛盾していると思ったのが、けっこう宮崎アニメの筋やらテーマやら心理やらに難癖つけていることだ。自分のアニメ論はそういうことに一切関知しない、と言っておきながら。
 あれれー?と思って、これを書きながら考えていた。
 答えは分かってみれば簡単。

 アニメを筋やらテーマやら心理やらで語ることを、公の場では一切するつもりがない、ということ。そういうのは、色んなひとがやってるので、わざわざ僕が声を出す必要はない。そんなことに労力を費やすより、まだ一般的でない画面そのものを見るアニメの見方を、説明としていいものにすることに力を注ぎたい。
 しかしこの続き物で書いたりしている宮崎アニメの筋やらテーマやら心理やらへのイチャモンは、ただの雑談。もしくは暴露話。そんなことでしかないことを公の場でしたくはないのです。
 でも考えてはいるのです。筋やらテーマやら心理やらに。普通に。実際ここでこうやって色々書いている。でも、これって、僕のしているその手の話って、僕がジブリにいたことに基づいて少しニュアンスが違って読めてしまうだけであって、僕がジブリにいたことが嘘だったということにして読んだら、ただの雑談です。あとは法螺話。「ジブリにいた」ことで担保される発言の輝きこそ、こちらこそまっぴら御免。そういう話は、でも現実的にはしてます。でもそれは親しい人とくだけた感じでしゃべりたいだけ。
(ほんとうに毎回読んでくださってすみませんと思ってるんですが、雑談はこういう風にしか終わらせられないようです、憎まれ口ひとつ世を放つ)。(この項、おわり)