gと烙印(@アニメてにをは)

ジブリにまつわる回想、考察を書いていきます。

gと烙印:第7話―タタリと差別について(その3)

 え?作品にハンセン病なんて言ってないって?
 製作サイドがその示唆を止めたからですよ。
 プレス向けの資料のさしかえをするか・しないか談判している監督の姿をぼくは見ている。
 そしてさしかえられ、そしてこの時点から、この作品はハンセン病とは関係ない作品として提示する、という広報態勢が整ったのではなかったか。
 
 「もののけ姫 ハンセン病」と検索すると宮崎駿さんが2016年にあれはハンセン病を示唆したという記事が簡単に見つかりますので、ご参照を。
 しかしこの記事はスクープの形をとりながら、「もののけ姫における伝染病に関わる差別的アプローチ」にまで至っていない。

 制作中のあの当時、社会問題としてそれを示唆する・しないの「大人な選択」などはこの際どうでもいい。そんな経緯にうさん臭さを覚えはしたが。
 しかしそれ以前に、作品そのもののあり様が、伝染病を差別として助長しているようにしか思えてならず、ペーペーの演出助手だったぼくはひとりで義憤をつのらせていた。

 そしてそのまがいもない差別性に無自覚な監督やスタッフたちにもほとほと呆れるしかなかった。
 注:ハンセン病は長年の偏見とは裏腹に感染率がきわめて軽微とはいえ、感染病は感染病です。

 でも、先に書いたとおり、ぼくはこの憤りを結局誰にも言わなかった。

 言ったところで、その理屈はスタッフの誰にも理解できないだろうと気づきつつあったからだ。
 スタジオを包むこの《没観念性》にぼくは当時絶望すらしていた。
 いまなら当たり前のことと分かるのだが、いくらジブリに採用される人材であろうと、そのほとんどのスタッフは《画力の才能》で雇われたのであって、作品に対し疑問意識をもつほどの思索力を持っているひとはほとんどいないのだった。
 何人かモノを知っている人物はいたが、そのどの人物も作品に対してイエスマンでしかなかった。(その4へつづく)

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