gと烙印(@アニメてにをは)

ジブリにまつわる回想、考察を書いていきます。

gと烙印:第7話―タタリと差別について(その4)

 「もののけ姫」制作中からおよそ四半世紀が経ったいま、あの当時を振り返りつつ、ジブリを辞めたあと俗世界を渡り歩いてきた結果思うのは《なんと貴重な人材(オレのことです)を失ってしまったことか》ということだ。
 あのスタジオで《真に批判的理性》をもっていたのは高畑勲しかいなかったのだし、ぼくは教養面では高畑氏に劣ってはいたものの、思考のとがり具合においては高畑氏をはるかにまさっていた。
 別に自慢ではないですよ。
 ジブリって意外と人材不足なんですよ、と言いたいだけです。
 多少の教養と尖った知性、そして相手に物おじしない態度さえあれば、あなたはどのアニメスタジオに行っても天下とれますよ。
 有為な人材よ、いまこそアニメ業界に進出して新しいアニメを作り出してください。

 あの当時、そこまで冷徹に気づいてはいなかったが、「もののけ姫」制作中に社内のスタッフがこの程度あの作品を理解しているか、その度合には気づいてはいた。ぼくの抱いていた憤りに、同感など望むべくもなかった。
 なぜジブリにいるスタッフがこれほど問題意識がなく作品に関わっているのか、当時のぼくには理解不能だった。
 創造性にかかわるひとびとがなぜ、かくも思考能力に欠けていたのか。
 制作中の作品を決定的に鋭く、批判的に吟味できる、そんなスタッフが欠けていた。
 あのスタジオに限らずどのアニメスタジオも抱えている、いまに至るウィークポイントだ。
 《職人》はいくらでもいる。
 しかし《世界を構築する創造性》はなかなかいない。
 えてしてアニメーターが力を持ってしまう業界にあって、オリジナルな世界観を弁舌で説ける才能が決定的に欠けている。
 毎年鳴り物入りで作られる長編アニメーションがことごとくつまらないのは、それが《アニメーター的》な創造力に大いに依存してしまっているからだと思う。
 そう考えて真っ先に思い浮かぶのが《海獣の子供》だ。
 あの作品の詰まらなさは、《職人的》な想像力で作ってしまった作品だからだ。創造性の局面は原作の魅力によりかかってしまい、《どうしてこの漫画はこうも面白いか》を徹底して検討していなかった。ただビジュアルで堪能させ、驚かせているだけだ。
 アニメマニアもアニメーター的な想像力に堪能して終わるようなオタク気質をそろそろ抜け出して、一般観客も巻き込むような《企画として面白い創造力》の発掘、評価をするべきではないだろうか。(その5へつづく)

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