gと烙印(@アニメてにをは)

ジブリにまつわる回想、考察を書いていきます。

gと烙印:第7話―タタリと差別について(その5)

 そしてぼくは、周りのスタッフの能無しゆえに何も言えなかったのとは違う理由で、タタリに関わる義憤を宮崎さんにとうとう言わなかった。

 ここで談判しても僕の考えなど通りはしないだろうし、もう中盤まで絵コンテが進んでいるのだ。ぼくが抱いていた義憤を貫けば、絵コンテを序盤から直さないといけない。それほど根本的な錯誤が作品のなかに埋め込まれていたのだ。
 もし、とぼくはあの当時、恐れた。
 もし、ぼくの見解が通ったとしたなら。
 制作上すごい大混乱になるだろうな。
 だからぼくは黙ってしまった。
 ぼくもそういう意味では作品を納期に納めることを大事にする社員だったわけだ。

 いや、これは正直じゃないな。
 怖かったのだ。
 この憤りをご本人に言ったら、本人が大混乱に陥ってしまうんじゃないか。そのまま作品が頓挫するんじゃないかと。

 当時ぼくは本気でそう思ってて「これは言ってはならないこと」と封じていた面もある。
 大した自信家だな。

 でもまあ、そういった作中の傷は、作品が公開すればいずれ、言挙げもされるだろう。その期に及んで泣き面かきゃいいや、とそんな無責任な風に、というか、そうなりゃざまあみろだ、と思っていた。
 けれどそんな批判は、公開されても、何ひとつ出てこなかった
 岩波か何かの雑誌で歴史学者網野善彦氏が宮崎さんと対談していて、しきりによいしょ発言をしていてげんなりした。
 『無縁・公界・楽』を書いたあなたが徹底的に《エボシ的なもの》の中途半端さを批判しなかったら、それを誰が言うのだ。
 ほんとそう思って、心底あきれた。
 いま振り返ってもそう思う。
 あの岩波が、網野を担ぎだして、宮崎に相手させたら、そりゃボッコボコにやっつけなきゃ、ウソでしょ。
 ジブリマジックに膝を屈した岩波なのだった。
 ま、商売になるからね。(その6につづく)

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