僕はジブリを辞めたあと、大学院に進んで、その筋(アニメ、社会問題、差別問題)に造詣が深い仲間に、ぼくの「タタリ病い」に関わる考えを述べた。
みな一様に、ふむふむと納得してくれた。
理解した。
しかし、ただそれだけだった。
僕があの作品の制作中、何度となく、やり場のない怒りに歯ぎしりした、その肝心な思いは、アカデミズムの中にあっても、誰ひとり相手として伝わることはなかった。
ああ、これが学究(アカデミズム)の限界なのだな、と思った。
まあ相手が中途半端な、中流の「その筋(アカデミズム)の人」だっただけからかも知れない。
おやおや、みなさん、いまでは大きな顔して、大真面目な学術書、出してますが。
こういう、お高く見て、ただ・そこに・とどまっている、という学究さんたちの態度を見て、いよいよアカデミズムも自分には縁がなかったなと思って大学院からも立ち去った。
どこかから声が聞こえる。
《まあまあ、貧乏人のくせに、そういうこと言っちゃダメだよ》
そんな声がどこかから聞こえてくる。
風変わりに人を驚かせて、気味悪がらせるのは、世に成功した人だけがやっていいんだよ。
お前みたいな貧乏人がそれをやったら、世間から抹殺されるだけだよ。
気をつけた方がいいよ。
いやー、まさにこの記事がそういうことを起こすのかな?
はは。
いいでしょう。
受けて立ちましょう。(第7話おわり)