読みさしの本を開いたら、こんな一節が目に飛び込んできて、笑った。
《君は何という風変わりな男だろう。貧乏人のくせに、人を驚かせたり、気味悪がらせるようなものを書きすぎるよ。》
「貧乏人のくせに」という難癖が可笑しい。
非論理的だけど、世俗感情をこれほどよく言い当ててる表現もないだろう。
そうなのだ。貧乏人は人を驚かせたり、気味悪がらせたり、風変わりなことをしてはいけないのだ。貧乏人でないなら、それは許されるらしい。
いやはや、実際そうだものな。
gと烙印の第7話目を投稿します。
こんなふうに、頼まれてもいないし、報われもしない文章を書くのって、相当エネルギーが必要なのですよ。
だから無償な善意があって、気力もあるときに書いておくのが一番なのです。
「もののけ姫」の制作に携わっていた間、監督やらスタッフやらにこの作品のことをあれこれ文句を言ったりしていたが、少なくともひとつだけ、言わなかったことがある。
タタリによる伝染病の扱いに関してだ。
主人公アシタカは劇中冒頭、憎しみに憑かれたタタリ神の触手に触れて、つまり感染して、タタリ病いに冒される。
その病いは憎しみを覚えると感染が進むという設定らしい(野武士の狼藉に矢をつがえるときなど)。
その一方でタタラ場の一角にはタタリ病人のための就労サナトリウムがあって、けど、その人たちの感染進行は憎しみとは関係ないようだ。
ここでもう設定として矛盾している。
英雄がなるタタリ病いと貧乏人(貧しく無名なひと)のかかるタタリ病いは性質が異なるらしい。
宮崎駿の《選民思想》がうかがえる。英雄と凡人ではあつかいが違うというわけだ。
この映画のラストは、首を切られてデイダラボッチになったシシ神に、アシタカがその首を捧げて「鎮まり給え」と呼びかけて首が合体。惨事は治まる。
すると禿山に緑が萌え出ずるとともに、アシタカや病人たちのタタリ病いは、外見的痕跡だけ遺して病いから解放される。
この筋立て、本当に大丈夫か?
当時、危惧をいだいたものだ。
制作当時、宮崎さんがハンセン病療養所(多摩全生園)を訪れたりしていて、このタタリ病いがハンセン病を暗示しているのはスタジオ内で公然の了解だった。
実際、制作当時、宮崎さんご本人がこのモチーフの扱い方に、社会へ一石投じたような自負を漏らしていた。
この作品の筋立てや設定、それに監督本人の考え方に、当時僕はものすごく怒りを感じながら仕事に携わっていた。
こんな切り口、社会問題に意識があるどころか、差別意識が根深く巣食っているじゃないか、と。
不治の伝染病を祟りとして畏怖の念を起こすのは、まあ昔の話ということで仕方ない。ハンセン病を隔離した政策もごく近い時代まで続いていた現実もあるのだし。
しかし憎しみが病を進行をさせるって……大丈夫その設定?
《病気の進行》が《感情の善悪》と関係しているって、それこそが《病気を道徳的に差別して・裁いて》いないか?
そしてその病いが神の加護によって癒えるって……
日本に生きているとそれは天皇崇拝と変わりなく思えるが、どうだろう?
さてそんな作品のなかにあってエボシこそ、そういう《前近代的》な呪いの観念から自由であったからこそ、《前近代的差別》を乗り越えた《場》=タタラ場を作ろうとしたのではないだろうか。
女を男と対等かそれ以上に優遇して就労者として活用し、またタタリの病者のために就労サナトリウムを作ったのも、そういう前近代的、土俗信仰的差別から《解放された》啓蒙君主だったからなんじゃ、なかったっけ?
それにしても《労働する》ことが《ひととしての証(あかし)》のように位置付けるって決定的に《差別》ですよね。《労働至上主義者》=宮崎駿を批判していたのは斎藤環さんでしたっけ?
タタリ病いの設定(=前近代的に差別される病)やタタラ場の特性(=偏見にとらわれないエボシの才覚によりタタリ病いの者たちのために就労サナトリウムをつくる)といったことすべてが、結末の《神の力で救われてしまう》って、タタリ病いをテーマのひとつに据えた意味をご破算にしてしまっている。
病いに対する差別と対峙するのなら、それは人間の意志と力で解決しなければならないはずだ。エボシはそれを行おうとした。
しかし作品では最後にデイダラボッチ=《神の力》によって病いが解決されてしまう。それはテーマにして言えば《人間の理性の敗北》でしかない。日本人好みに言えば《神だのみ》そのものだ。
ここに何の社会的問題提起があるのだろう?
宮崎駿は絵コンテを途中のままにして制作をスタートさせ、生さと同時に絵コンテを書き継ぐことでよく知られる。
その結果、話の途中から結末までに、しばしば一貫した解釈が難しくなる局面にぶちあたることになる。
「魔女の宅急便」ではなぜ飛べなくなり、なぜまた飛べたりするのか?
あるいは「ハウルの動く城」の北の魔女は無力化されたままよいのか?あの案山子はなぜ最後にとってつけたように元の姿に戻るのか?
観客は完成形をいきなり突きつけられて戸惑うばかりだ。好意的に、必死になって解釈の整合性を求めようとする。しかし制作の過程をゆっくりと時間をかけて付き合ってきたスタッフはよく知っている。それが、つじつまの合わない《作品の傷》であることを。
「もののけ姫」の傷、つまり支離滅裂な内容になってるその原因のひとつが、ハンセン病の扱いにも作用している。それに神の超自然的な意向で病に罹ったり・治ったりしていて、こういう態度がハンセン病に理解ある眼差しだとは、とうてい思えないのだ。
え?作品にハンセン病なんて言ってないって?
製作サイドがその示唆を止めたからですよ。
プレス向けの資料のさしかえをするか・しないか談判している監督の姿をぼくは見ている。
そしてさしかえられ、そしてこの時点から、この作品はハンセン病とは関係ない作品として提示する、という広報態勢が整ったのではなかったか。
「もののけ姫 ハンセン病」と検索すると宮崎駿さんが2016年にあれはハンセン病を示唆したという記事が簡単に見つかりますので、ご参照を。
しかしこの記事はスクープの形をとりながら、「もののけ姫における伝染病に関わる差別的アプローチ」にまで至っていない。
制作中のあの当時、社会問題としてそれを示唆する・しないの「大人な選択」などはこの際どうでもいい。そんな経緯にうさん臭さを覚えはしたが。
しかしそれ以前に、作品そのもののあり様が、伝染病を差別として助長しているようにしか思えてならず、ペーペーの演出助手だったぼくはひとりで義憤をつのらせていた。
そしてそのまがいもない差別性に無自覚な監督やスタッフたちにもほとほと呆れるしかなかった。
注:ハンセン病は長年の偏見とは裏腹に感染率がきわめて軽微とはいえ、感染病は感染病です。
でも、先に書いたとおり、ぼくはこの憤りを結局誰にも言わなかった。
言ったところで、その理屈はスタッフの誰にも理解できないだろうと気づきつつあったからだ。
スタジオを包むこの《没観念性》にぼくは当時絶望すらしていた。
いまなら当たり前のことと分かるのだが、いくらジブリに採用される人材であろうと、そのほとんどのスタッフは《画力の才能》で雇われたのであって、作品に対し疑問意識をもつほどの思索力を持っているひとはほとんどいないのだった。
何人かモノを知っている人物はいたが、そのどの人物も作品に対してイエスマンでしかなかった。
「もののけ姫」制作中からおよそ四半世紀が経ったいま、あの当時を振り返りつつ、ジブリを辞めたあと俗世界を渡り歩いてきた結果思うのは《なんと貴重な人材(オレのことです)を失ってしまったことか》ということだ。
あのスタジオで《真に批判的理性》をもっていたのは高畑勲しかいなかったのだし、ぼくは教養面では高畑氏に劣ってはいたものの、思考のとがり具合においては高畑氏をはるかにまさっていた。
別に自慢ではないですよ。
ジブリって意外と人材不足なんですよ、と言いたいだけです。
多少の教養と尖った知性、そして相手に物おじしない態度さえあれば、あなたはどのアニメスタジオに行っても天下とれますよ。
有為な人材よ、いまこそアニメ業界に進出して新しいアニメを作り出してください。
あの当時、そこまで冷徹に気づいてはいなかったが、「もののけ姫」制作中に社内のスタッフがこの程度あの作品を理解しているか、その度合には気づいてはいた。ぼくの抱いていた憤りに、同感など望むべくもなかった。
なぜジブリにいるスタッフがこれほど問題意識がなく作品に関わっているのか、当時のぼくには理解不能だった。
創造性にかかわるひとびとがなぜ、かくも思考能力に欠けていたのか。
制作中の作品を決定的に鋭く、批判的に吟味できる、そんなスタッフが欠けていた。
あのスタジオに限らずどのアニメスタジオも抱えている、いまに至るウィークポイントだ。
《職人》はいくらでもいる。
しかし《世界を構築する創造性》はなかなかいない。
えてしてアニメーターが力を持ってしまう業界にあって、オリジナルな世界観を弁舌で説ける才能が決定的に欠けている。
毎年鳴り物入りで作られる長編アニメーションがことごとくつまらないのは、それが《アニメーター的》な創造力に大いに依存してしまっているからだと思う。
そう考えて真っ先に思い浮かぶのが《海獣の子供》だ。
あの作品の詰まらなさは、《職人的》な想像力で作ってしまった作品だからだ。創造性の局面は原作の魅力によりかかってしまい、《どうしてこの漫画はこうも面白いか》を徹底して検討していなかった。ただビジュアルで堪能させ、驚かせているだけだ。
アニメマニアもアニメーター的な想像力に堪能して終わるようなオタク気質をそろそろ抜け出して、一般観客も巻き込むような《企画として面白い創造力》の発掘、評価をするべきではないだろうか。
そしてぼくは、周りのスタッフの能無しゆえに何も言えなかったのとは違う理由で、タタリに関わる義憤を宮崎さんにとうとう言わなかった。
ここで談判しても僕の考えなど通りはしないだろうし、もう中盤まで絵コンテが進んでいるのだ。ぼくが抱いていた義憤を貫けば、絵コンテを序盤から直さないといけない。それほど根本的な錯誤が作品のなかに埋め込まれていたのだ。
もし、とぼくはあの当時、恐れた。
もし、ぼくの見解が通ったとしたなら。
制作上すごい大混乱になるだろうな。
だからぼくは黙ってしまった。
ぼくもそういう意味では作品を納期に納めることを大事にする社員だったわけだ。
いや、これは正直じゃないな。
怖かったのだ。
この憤りをご本人に言ったら、本人が大混乱に陥ってしまうんじゃないか。そのまま作品が頓挫するんじゃないかと。
当時ぼくは本気でそう思ってて「これは言ってはならないこと」と封じていた面もある。
大した自信家だな。
でもまあ、そういった作中の傷は、作品が公開すればいずれ、言挙げもされるだろう。その期に及んで泣き面かきゃいいや、とそんな無責任な風に、というか、そうなりゃざまあみろだ、と思っていた。
けれどそんな批判は、公開されても、何ひとつ出てこなかった
岩波か何かの雑誌で歴史学者・網野善彦氏が宮崎さんと対談していて、しきりによいしょ発言をしていてげんなりした。
『無縁・公界・楽』を書いたあなたが徹底的に《エボシ的なもの》の中途半端さを批判しなかったら、それを誰が言うのだ。
ほんとそう思って、心底あきれた。
いま振り返ってもそう思う。
あの岩波が、網野を担ぎだして、宮崎に相手させたら、そりゃボッコボコにやっつけなきゃ、ウソでしょ。
ジブリマジックに膝を屈した岩波なのだった。
ま、商売になるからね。
僕はジブリを辞めたあと、大学院に進んで、その筋(アニメ、社会問題、差別問題)に造詣が深い仲間に、ぼくの「タタリ病い」に関わる考えを述べた。
みな一様に、ふむふむと納得してくれた。
理解した。
しかし、ただそれだけだった。
僕があの作品の制作中、何度となく、やり場のない怒りに歯ぎしりした、その肝心な思いは、アカデミズムの中にあっても、誰ひとり相手として伝わることはなかった。
ああ、これが学究(アカデミズム)の限界なのだな、と思った。
まあ相手が中途半端な、中流の「その筋(アカデミズム)の人」だっただけからかも知れない。
おやおや、みなさん、いまでは大きな顔して、大真面目な学術書、出してますが。
こういう、お高く見て、ただ・そこに・とどまっている、という学究さんたちの態度を見て、いよいよアカデミズムも自分には縁がなかったなと思って大学院からも立ち去った。
どこかから声が聞こえる。
《まあまあ、貧乏人のくせに、そういうこと言っちゃダメだよ》
そんな声がどこかから聞こえてくる。
風変わりに人を驚かせて、気味悪がらせるのは、世に成功した人だけがやっていいんだよ。
お前みたいな貧乏人がそれをやったら、世間から抹殺されるだけだよ。
気をつけた方がいいよ。
いやー、まさにこの記事がそういうことを起こすのかな?
はは。
いいでしょう。
受けて立ちましょう。(第7話おわり)