gと烙印(@アニメてにをは)

ジブリにまつわる回想、考察を書いていきます。

gと烙印:第102話~至上の自己承認(その4)

 しかもこの論考は奇妙にもジブリのお膝元にあたるジブリの広報誌「熱風」に連載されることになりました。
 まったく無名の新人が雑誌「熱風」に連載を持つ異例の事態。
 宮崎駿さんに見出されて若手演出家候補《逸材くん》としてジブリに雇われたような現象が。ふたたび現れたのです。
 おそらく鈴木敏夫プロデューサーに見出される形でこの論考は「熱風」での連載につながったと思うのです。
 二十数年を経て、二度とも《無名のままに・採用された》。
 しかもその論考は《何とも奇妙に・新しい》ものだった。
 自画自賛でなく、《まったく新たな・視座を持った》アニメ論の登場です。
 それが「アニメの「てにをは」事始め」なのでした。
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 こうやって経緯を説明しただけで、いかにこの石曽根正勝と言う人間がジブリなり宮崎駿なりと、幾重にも《ねじれた》状態で接続しているかがお分かりになるでしょうか。
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 ジブリ宮崎駿に関心のないままジブリに雇われて、将来の演出家候補として雇われた《ねじれた》現象がひとつ。
 もうひとつに、誰も想像しなかった形でジブリなり宮崎駿を切ってとったアニメ論がジブリの雑誌に採用されてしまった《もうひとつのねじれ》。
 その幾重にも《ねじれた》関係には、ジブリなり宮崎駿なりへの《敬意》が一切混ざっていません。
 ひと言で言えば《不遜》と言っていいでしょう。
 しかし別に傲慢であろうとして、わたし・石曽根は振舞ってはいるわけではないのです。
 わたしは《ジブリなり/宮崎駿なりに》相対的に自由な形で振る舞い、論考を書いた結果、それが《ジブリなり/宮崎・鈴木》に認められてしまった。それだけのことです。そこには《ジブリなり/宮崎駿》なりへの遠慮会釈のない関係があるだけなのです。
 論考「アニメの「てにをは」事始め」の三分の二は宮崎駿論である。しかしその連載を通じて浮き彫りにされた《宮崎駿像》の特異なことよ。
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 そこでようやく、冒頭の「自己承認」に戻る。
 さてわたし・石曽根は、ジブリなり、宮崎駿なりに「自己承認」をしてもらったのでしょうか。
 まず25年前、ジブリに雇われるきっかけになった宮崎さんからのオファーは十二分に「自己承認」の甘味に包まれたであろう。
 その当時のわたしがアンチジブリな人間であろうと、宮崎駿という圧倒的な存在から認められた事実に自信は隠せない。
 しかも自分は「ジブリ宮崎駿、なにするものぞ」という気概がありあました。
 大人しく、従順に、首を垂れる形でジブリに入ったわけではないのでした。
 むしろ昂然と頭を高くあげてジブリの門をくぐったのでした。
 自分が特異な人間だと自覚してジブリに入社したのでした。
(その5につづく)

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