gと烙印(@アニメてにをは)

ジブリにまつわる回想、考察を書いていきます。

gと烙印:第102話~至上の自己承認(その5)

 それから25年。
 わたしは今度は論考という形でジブリ接触した。
 その論考では誰も描いたことのない《宮崎駿(作品)像》が提示されたと自負しています。
 25年前、「東小金井村塾」という場を介して、従来の形にない形でジブリに対した結果、ジブリに迎え入れられたように、いままた従来にない形で宮崎作品像を提示した結果、論考の価値が認められた。
 さてわたしは《ジブリなり/宮崎駿なり》に「自己承認」してもらったのだろうか?
 それは奇妙な「自己承認」でしょう。
 わたしはジブリなり/宮崎駿なりに「愛をこめて・承認を求めた」のではないのですから。
 むしろわたしがしたのは「批判的」にジブリなり/宮崎駿なりに接した結果「ねじれた」形で承認されたことになります。
 実際「承認」などわたしは求めてはいなかったのです。
 ジブリに雇われる可能性などつゆとも考えず、東小金井村塾で高畑勲と弁舌で闘った。
 そして、いままた、誰も思い描いたことのないジブリ作品像を提示した。
 そこには少なくとも「お追従」はないですね。
 高畑勲と弁舌で闘おうと、論考をジブリに寄稿しようと、それはいつだって《批判的に/挑戦的》だったのです。
 それが「承認」されてしまうという「皮肉」。
 それは《ジブリに・いいように巻き込まれる》ことを意味するかもしれない。
 実際ジブリに雇われた二年間はそんな煩悶と闘っていた。
 しかし二十五年を経てアニメの論考を書き上げたいま、そんな煩悶はありません。
 なにしろ二十五年間、ジブリに一切過程進捗など報告せず、孤独に(ときに稀有な出会いに助けられながらも)やはり孤独につむぎあげた論考だったのです。
 そうした《孤独》は、いざジブリの「熱風」に連載が決まったところで、孤独の苦みと成功の甘味で天秤にかけられても、釣り合いがとれず、ただ「自恃の念とともに・自負がある」だけです。
 《ジブリなり/宮崎駿なり》といくらよじれた関係であろうと、《特異に結びつけたという・自負》があるのでえす。
 それは手軽な「自己承認」とは別物でしょう。
  ◆
 わたしは確かに論考を携えてジブリへ赴き、宮崎さんや鈴木さんにそれを渡したとき、「認めてもらおうとする願望」はありました。
 しかしその「承認」は《わたしがジブリに呑み込まれる》ような´《同一化への願望》ではありませんでした。
 《わたし~/論考/~ジブリ》といった形で、「論考」を仲介にして「ねじれ」を含んだ「承認」がジブリから与えられたと思うのです。
 そしてそれは、《誰とも似ていない》と自負の念で語れる《独異な関係》なのでした。
  ◆
 オリジナルに/独異な関係において為された「自己承認」。
 それはときに、「承認先」の担保すらいらないほどに特異なものになるでしょう。
 実際、宮崎駿にせよ鈴木敏夫にせよ、わたしの論考が「熱風」に掲載されていることなど、もう忘れているでしょう。
 しかしそれがどうだというのでしょう。
 わたしは《誰にも似つかぬ形で・宮崎駿を切った》のだ。
 それはもう「承認願望」ではなかったと、いまここまで書いてきて気づきます。
 ジブリ側にどんな思惑があったにせよ、《あの論考》は多くの者の手にわたろうとしている。
 それは《宮崎駿の像をかたどった爆弾》なのだ。
 その「独異」さがわたしを慰めている。
  ◆
 誰かに似るでなく、わたしの「独異さ」が認められる。
 それこそが至上の「承認願望」なのかも知れない。
 それでいて「願望」などもっていない。
 「独異さ」が「独異さ」のままに思いがけず認められてしまうこと。
 さらにわたしは自分の「独異さ」を駆使して、宮崎駿の「独異さ」をあぶりだした。
  ◆
 《自己承認》とはひとさまざまだと思う。
 ただわたしは《独異さ》をめぐって、ひとり闘うことが《自らを・慰めている》そういうことなのだろうか。
(この項、おわり)