gと烙印(@アニメてにをは)

ジブリにまつわる回想、考察を書いていきます。

gと烙印:第15話~高畑さんの本領それから塗り絵(その1)

その1
 高畑勲さんの『かぐや姫の物語』が公開延期されていて、先日始まった。まだ観に行ってない。
 この作品は何回延期されたのだろう。夏頃に、秋に延期されると耳にして、『風立ちぬ』を観に行った予告編だったろうか、秋の初旬にやるようなテロップが出ていた記憶があったのが、結局秋の下旬に始まったので、最低二回は延期したことになる。
 ジブリ愛好者、崇拝者(特に作画マン)が《高畑マジック》と呼ぶのは、作品ごとに新たな表現方法を開拓するところにある、とは以前書いた。
 新たに開拓された表現は、試行錯誤の渦中に立ち会わないとそのすごさが分からないので、開発終わった《跡でしかない》作品を見てもその衝撃を追体験するのは困難だ、とも以前書いた。
 だから『かぐや姫』の制作に立ち会わなかった自分はおそらく、なにが面白いか、なにに挑戦した作品か、いまひとつ分からないで劇場を後にする可能性が大きい。
 それでいてあえてプレスの情報も入れない。作品を都合よく捻じ曲げて観ることになるのを知っているのでそれはしない。
 実際どんな鑑賞体験になるか見当がつかなくて怖くて観に行く気力がない。

  高畑作品のように作品が立ち上がる《渦中にこそ》創作の醍醐味だったりするもののが現れる最たるものに、ひとつ演劇があるだろう。
 前衛的なら前衛的で、地味なら地味で「これは何が面白いのだろう」と思う芝居に立ち会うと、稽古中の様子を見てみたいと思う。
 そうは思わずに楽しめる作品(芝居であれ何であれ)は、よく言われることとは言え僕も言うと、どこかで《既に経験した》面白さがあるからで、作り手も観客も《その知れ渡った効果のほどを》確認しあっている作業だったりする。そういう作品は効果のほどがすれ違うことを期待しないものだ。
 客と演じ手相互の確認作業をきっちりさせようと徹底するのがいわゆる《ウェルメイド》と言われる作品なのだろう。そういう作風は鼻で笑われたりもすればあえて自認する者もいる。いま日本で言えば三谷幸喜さんがその最たるものだろう。
 僕はどこかすれ違いのある作りものの方が好きで「これ、何だろう?」と思いたい節があって、だから昔三谷さんの芝居を観に行ったり映画を観たりして、効果のほどが見え透くので遠ざけている。
 先日気紛れに三谷さん監督『有頂天ホテル』をDVDで観て、人物と伏線が次々と錯綜して、飽きないまま最後まで観た。
 でも《面白かった》とは不思議に思えなくて、観客を飽きさせないように出来ていることは分かった。しかし飽きさせないのに、面白かったとも思わせない作品とは「これ、何だろう?」と考えさせられた。昔のスクリューボール・コメディがシュールだと言われるのも、もしかしたら『有頂天ホテル』のこの不思議さと共通するのかも知れないと思った。(その2へつづく)

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