gと烙印:第5話~見世物になること
1.
先日東京へ行った。【2010年代前半のこと】
札幌時代の恩師・亀井秀雄氏が東京で講演することになり、駆けつけたのだ。
講演会は終わり、打ち上げに参加した。主催者や関係者の大学教員、出版社の社長、社員らがいた。
何らその筋の肩書きのないぼくは座の隅で談話に耳を傾けていた。
恩師はジブリ好きである。
いつかその話題がまた出るのはないかと内心恐れていたが、やはり話を向けられた。
近々、宮崎さんの新作「風立ちぬ」が公開されると教えられた。
ぼくは、当時会社の広報のやり口をつぶさに見ていて、事前に情報を知るとその宣伝の切り口に沿って映画を見るように仕向けられる巧妙な手口を知っているので、ジブリ作品に関しては観るまで可能限り情報を入れない。
だからその話題にも大して関心を呼び起こさなかった。
ただ「風立ちぬ」という堀辰雄の作品の名前が出たので、ちょっとびっくりした。
四年ほど前だったが、「アリエッティ」公開後に宮崎さんの本拠・二馬力の社屋に遊びに行った。
そのとき宮崎さんが盛んに話していたのが、この「風立ちぬ」のことだった。
ああ、あれを映画をしたのだな、と思った。ぼくはその座のひとびとに答えた。
「そのときあの小説のことを盛んに話していました。あれが映画になったのですね。
宮崎さんの話を聞いていて、この人はつくづくサナトリウムが好きなのだなあと思ったものです。」
宮崎さんから「風立ちぬ」への思い入れを聞きながら、ぼくはサナトリウムに語るくだりで、「となりのトトロ」の母親が療養する病院、「もののけ姫」のらい病患者が住まうタタラ場の一角を思い起こしていたものだ。
2.
しかし話をふったどこかの大学のセンセイは、
「サナトリウム? ゼロ戦の話だってよ」
「ああ、そう言えば、ゼロ戦の話も一緒にしていましたよ。そうか、あれを映画にしたのか」
座が少し白けた。
ぼくが単にジブリにちょっと関わっただけのやつだと思ったのが、案外に宮崎さんの内情に詳しいことに周りの者が腰がひけたのだと即座に理解した。
ゼロ戦の話を持ちだした教師がひと息置いて聞いた。
「それで、君はなんの作品に関わったの?」
「もののけ姫のときです」
「まあ、道を外れたわけだ」
「そうですね。かわりに僕と同期のやつが「アリエッティ」を作りましたよ」
「ああ、あれね」
誰かのその言い草には、あの作品への軽侮が感じられた。
アリエッティが世評の低さと反対に、とてもいい作品だったと言おうとしたら、ゼロ戦センセイが先を制して言った。
「それで、キミ、やっぱり嫉妬したの?」
そう言って教師は、僕に顔も向けず盃を傾けながらニヤけた。
ああ、やっぱりそういうことか。
こいつは敵意とやっかみとからかいでもって、最初からオレに話しかけていたのだな、
僕は嘘をついた。
「そうですね。多少嫉妬しましたよ」
男は満足そうに笑った。
3.
こういうことがたまにあるから、ぼくはジブリの話はしたくない。
「アリエッティ」は、ここ五年、あるいは十年の間に作られた商業長編アニメで十本の指に入る作品として、ぼくは敬意を払っている。
劇場で見たとき、ひとつひとつのカットにみなぎる活劇のわくわく感に(特に前半の四〇分)、これでようやく宮崎アニメの正統な継承者が生まれたと思ったものだ。
監督である同期の米林くんに、嫉妬など感じなかった。
「よくぞやってくれた」
それだけだった。
しかし、はなからからかいの調子で話題を持ちかけたこういうゲスな男に何を話したところで、真率な思いなど伝わるわけがない。
ぼくは宮崎駿から、演出家になるべく育てられた。
道は外れたとはいえ、その訓練を通じて得たアニメを凝視する緊張感はいまでも発動しようと思えばそうできる。
観客が漫然とアニメの画面を見ているとき、ぼくはその同じ画面にバババッと視線を走らせ、まあ十倍の情報量を見て取る迅速な視力を持っている。それはとても疲れる作業なので、アニメはほとんど見ない。
端的に言って、アニメに対して生半可な人間ではないと、揺るぎないプライドを持っている。
そういう人間が、半可通の下世話な酔漢の、肴のつまみにされる。
アカデミズムの上下関係の中で、ただぼくは道化役を、怒りを押し殺して演じるだけだ。
だからぼくはジブリに関わる話を、一般人にしたくない。
怒りにまかせてこれを書いた。
こういう侮辱的な扱いをこの十五年あまり、何百回も受けてきた。
馴れはしない。怒りだけは消えない。
それはとてもいいことだ。初心を忘れてはいないと再確認できるんのだから。
おまけ。
この十余年に作られた商業長編アニメ、ベスト5。
●崖の上のポニョ
●千年女優
●ドラエモン/のび太の恐竜(あるいはとなりの山田くん)
●アリーテ姫
●借りぐらしのアリエッティ
●選外/時をかける少女
このベストに野心を感じてくれる人がいるかどうか。