gと烙印:第13話~学会、論文、同級会、そしてジブリ。貼り雑ぜ帳
0.贅言
フェイスブックの投稿はなるべく控えている。
インタラクティブ新メディアが現れる度、いっとき依存症になると経験上痛感しているので、手控えている。
投稿モノを書いてもすぐにはアップせず冷却期間をおいたりしているが、浅はかさが時とともに目についてそのままのものもある。
この烙印モノもいくつか眠ったままの文章がある。
鮮度と練り直し、両立が難しい。
ジブリな季節がはやく終わらないものか。【当時『風立ちぬ』が公開中】
しかしまだ『かぐや姫の物語』が控えている。
『かぐや姫』が公開されたとて、誰も僕に高畑勲さんのことを聞いたりはしないだろう。宮崎駿さんのことしか、相変わらず、聞かないだろう。
『かぐや姫』、さっさとひっそりと終わって、ジブリな季節を終えて欲しい。僕もひっそりと、高畑さんが繰り出すだろうアニメの新手法を見守り、ゆっくりと考えたい。
1.学会をしてみるについて
来月の学会発表もせまってきた。準備はまだ三割方の見当。尻に火がついている。
学術から遠ざかって五年あまり。初めて学会から依頼があって、やってみる気になった。そうでなければ学会発表などすることもなかったろう。
勘がだいぶ鈍っている。
それでいて従来やってきた学会のお作法的な手続きを踏むのがいやになっている。
扱う小説作品に注釈をはさむため、文学以外の参照項をわざと持ってくる。同じ文学でも小説でないものをわざと参照に持ってくる。
それでいて、それがいやになる。
小説を小説そのものに語らせる手立てはないか。
あるいは小説的な語り口で小説を論じられないか。
それから学者さん同士にしか通用しない専門用語を使うのもいやだ。
偶然フラで入ってきた一般の聴き手にも分かるような言葉遣いでできないものかと口述原稿を書いている。
学会の広報に渡したプロフィールも「会社員」にした。
実際のところ休職中の会社員なのだが、肩書に偽りはない。
どこどこの大学の教員だったり大学院生だったりの肩書がならぶなか、サラリーマンという肩書きで参加する。
いっそ「失業者」としてみたいところだ。
肩書をあえて会社員にしたのも、それから日常語をつかって発表言語にしたいのも、そして小説を小説をして語らしめたいことも、ぼくの中でひとつづきにつながっている。
学術の世界から降りた人間のひとりとして、それからどういう言語表現の世界で生きて来たかを踏まえないと、あえて学会に戻る意味があるように思えないからだ。
平易な言葉遣いでも表現できると、橋本治の評論を引いてみる。
小説をして語らしめるヒントを吉田健一の文章から学んでいる。
ぼくが今回も扱う古井由吉という小説家、この人の著述活動のうち、なぜか1970年代を無視されて評論・批評・研究が終わっている。その隙間を埋めるため十年近くセコセコ論文を書いていた。
そこから得た結論が、先日、橋本治がバブル後の日本を予言した『90s』というエッセイ調の評論の中で、いとも簡単な言葉を使って、二頁たらずで語り尽くしていたことに拍子抜けした。
それを今回学会で引用するつもりだ。
吉田健一の持論はシンプルだ。「言葉が愉快に読めればそれはもう文学だ」。それ以上のものを、文学になぜ求めるのか。まったくその通り。
言葉が愉快に流れる様(文体と呼んでみよう)を説明する。説明する時点ですでに野暮で、だからそれはもう文学ではないはずで、その野暮はさすがの吉田健一もまぬがれない。
そのシンプルな持論に啓発されたというより、ぼくがそもそも古井由吉にこだわった、この小説家を不思議だと思った、その言葉の流れが持つ独特の感触だったのだが、大学院のお作法に倣っていたら、いつやらその最初の感触から外れてしまって、労働やら性愛やら家族システムの桎梏やらを読み込むことにいつのまにか必死になっていた。それそのものが錯誤だったことに、吉田健一の言葉から教えられ、思い出させてくれた。
古井由吉の小説に現れる労働の様子や性愛の具合、地縁血縁やらのしがらみの鬱陶しさやら恐さやらは、すべてその言葉の流れの独特の魅力なくして発生しようがないはずであり、僕が立ち向かうべきはその言葉の流れだったのだといまさら気づく。
いま、だからそれに気付いて、学会で引用しようと思ってパソコンに打ち込んだ古井の文章の断片を並べて見ていると、そこには《発表のお題》と《僕の課題=言葉の流れを見てゆくこと》とが両方、同じひとつの解に至ることが、学会発表までにギリギリセーフで気づいた。
「群衆と文学」が学会のお題なのだが、ぼくの結論は「古井の文章とは風景描写でなく「地形描写」なのだ」というもの。
視線誘導にもとづいた言葉の流れ。
それが「群衆と文学」とどう結びつくかって?
いまそれを考えている。結論になるはずだという直観はある。
こんなことを学会の準備と称してこの数ヶ月、時間を使っていた。
と言ってみたが実のところ、しばらく書いていない論文というものを久しぶりに、そして本格的に取り組むため、そのジャンピングボードとして、今回の学会発表の準備手続きを利用させてもらった、それが本当の理由、発表をしてみる気になった真の理由だった、と書いても案外嘘でもない。
2.アニメ論を書くにあたっての野心
ようやく来月、学会のおつとめがおわる。
そのまま本丸となるアニメの論文にとりかかる。
学会より、この始まりの方が不安を覚える。
アニメの論文を書き上げるのに、二年だろうか、三年かかるだろうか。
まず長丁場になるだろう。
原稿用紙にしたら総計300枚から400枚ぐらいにはなりそうだ。それでおさまればいいが。
しかし何百枚もの論文を一挙掲載してくれるところなどないから、断続的な掲載になるだろう。この章をあっちの学会誌に、あの章をこっちの学会誌に。不毛な作業だ。
それを、印刷される度、バラまき続ける。
僕の40代は、この活動で終るだろう。
【この文章が書かれている当時、まだアニメ論は一行たりとも書かれていなかったのだ】
義務だか意地だか使命だが分からないが、とにかくライフワークのひとつを終わらせる。不慮の事故やら病気で死にませんように。
このアニメの論文も出来るだけ平易な言葉で書くつもりだ。義務教育を終えたひとなら誰でも読めば理解できる風に書くよう努力する。
けれど、この夏秋、機会をとらえて僕にジブリの話を聞こうとした人はきっと誰ひとり、僕の論文を読むことはないだろうことも、予想がつく。目の前にその冊子を置かれたとしても、目を通すことはないだろう。
それでもそれを読もうと思う人がいたときのために、学者さん言葉を避けて平易な言葉で書き綴る。
実際、そうしないと、学者さんたちの合言葉にはなり得ても、まずアニメーションの現場には役立たないだろうし、素直にアニメを見る人の助けにもならないだろうから。
トーマス・ラマールの『アニメマシーン』は画期的なアニメ論だ。
でも、その記述の難解さや、参照されている哲学概念が、この本の打ち出している斬新なコンセプトを、一般的に普及させるのを困難にしている。
一般的に流通する段階でかなり劣化したコンセプトになり下がっているだろう。元の木阿弥だと、僕なら思う。
難しげな言葉など全然必要ない。
日常語でアニメーションの読み書き能力は言語化できるはずだ。
ぼくが打ち出すコンセプトにあえて名称をつければそれは、「アニメーション・リテラシー(Animation literacy)」=アニメの基本的な読み書き能力だ。
ごく基礎的な読み書き能力を習得するのに、高度な言語表現を持ち出されたら、ひとは困るだろう。
だから日常語の水準で書く。
そしてこの読み書き能力を手に入れなければアニメの見え方は変わらない。
普段使いの頭で楽しめないような、高度過ぎるアニメの読み書き能力など、それこそ高等教育に・ラマールさんにおまかせする。
実際のところ、その高等教育で・特に文学部とやらで、アニメを教わってる人も教えている人も、日常語で理解できる水準のアニメの読み書き能力を持ちあわせていないのだが。
と言ったら怒る人がいるだろうか。いるだろう。けれど実際のところ、膝を打ちたくなるような卓抜な言葉でアニメについて説明できた人に出会ったことはない。
「アニメを見る目」に気付いてからもう十年以上経った。
その手始めのきっかけに出会うまでに、ジブリを辞めてから数年の時間が、冷却期間が必要だった。
それから十年ぐらいかけて、いくつかのことを言葉で表現することに成功した。
そしてその中のいくつかは、現役ベテランアニメーターですら習得し損なったことだったりする。
それをぼくは簡単な言葉で説明する。
相手が素直に聞いてくれたなら、いままで継承されなかった例えば宮崎駿のある種のテクニックを、実作業で(いくらか試行錯誤の時間は必要だろうが)手中にできるだろう。
以前も書いたことかも知れないけれど、ぼくはジブリを辞めてから数年間、ジブリの話をすることを頑なに拒んでいた。
その要望に応えれば応えるほど、自分の存在が単に「ジブリで働いていた」その一点だけの、ほとんどナンセンスな存在になり下がる/成り下がらせられる、と分かり切っていたからだ。
ぼくに近しい人はぼくの気持ちの機微を段々に分かってくれたが、いつでも傍若無人に知らない人が突然「イシゾネさんて、ジブリなんです~?」と無邪気に質問をしてくる。
これはいい加減なんとかしないとな、とずっと思っていた、
そんないらだちを覚えていた頃、大学院生仲間がジブリアニメに関するゼミ発表をするので来て欲しいと言ってきた。
いやいやながら行って、ゼミ室のモニタで、よりによって自分の関わった『もののけ姫』のシーンを見せられた。
モニタに映されたその画面を、覚悟を決めて目を向けたときの、いま思い出してもフラッシュバックする、猛烈な不愉快感と胸苦しさ。
そして視えてしまう驚き。
けれど結果的にそれが転機となって、いまアニメの論文を書こうとしている。
数年ぶりに不快感をおして目を向けた『もののけ姫』の画面は、素人の観客だった頃と、プロとして携わった経験を経た後とでは、アニメの画面がまったく違う風に見えるようになっている、そういう自分の「眼の変化」を気づかせた。
しかしその時点では、まだ経験的・直観的なものでしかなかった。
それを言葉で表現することが、なかなか出来なかった。
実際それは無理な相談だった。後々に分かって来るのだが、現役の経験を積んだアニメーション職人たちですら、それを言葉に出来ないでいるようなことをぼくは視てしまったのだから。
彼らアニメーション職人ですら、それぞれ個人の努力で、先達の仕事を見よう見まねで習得したり、し損なったりしている、いまだそういう現状なのだ。
そのうちの、二、三を、視えてしまったのだ。
3.アニメーションの読み書き能力とは
たとえば宮崎駿のアニメに惚れ込んだアニメーターがいるとする。
実際宮崎駿の下で経験を積んだりする者もいる。
そして彼らが演出・監督の立場になって、その作品のひとつのカットやシーンに宮崎駿の影響らしきものをやってのけたりする。
空を飛んだり、落下したり。細部までまるごと再現したりもする。
けれどそれを見る者は、少なくともぼくは、宮崎駿本人が作った本来のシーンの、その魅力のかけらすら再現できていないことを看て取る。
多くの人は・熟練したアニメーターですら、勘違いしているのだが、宮崎駿の地力のすごさは空中に浮かんだり落っこちたりすることにはない。
地面を踏みしめる瞬間がもっとも基本的な地力として現れている。
徒歩で歩くときの足の踏みしめ方。
走ったときの踏みしめ方。
全力で走った時の踏みしめ方。
ピョンと跳んで地に足をつけたときの感触。
ビョーンと跳んだ後の踏みしめ方。
超人的な高さから落下した時の踏みしめ方。
それらすべてを宮崎駿はかるがると描き分ける。
見る人に説得的に描き分ける。
その基本的アニメートの地力とは、「作用―反作用」(押す力―押し返す力)という、義務教育レベルの物理的原理から素直に出発して、どこまでその想像力を拡張できるかに関わっている。
足の踏みしめ方の大切さを分かっていないアニメーターが、どんなに華麗な飛び方を描こうとも、その根本的な魅力の源泉(作用―反作用)がわかっていないから、空転する。
そういう失敗例をいまも数多く見ることができる。
いや、ぼくもその罠にかかっていた時期がある。
宮崎さんは『もののけ姫』で「自分の得意な技術を封印する」と宣言していた。
多くの人は出来上がった作品を見て、飛行シーンがないためにカタルシスが得られず、ここに封印された得意な技を(欠如として)見出した。
僕も長らくそう思っていた。
しかし先に書いた、飛行を成り立たせている「作用ー反作用」のアニメートの基本的地力に気付いたとき、『もののけ姫』にはその地力がいたるところに振りまかれていることに気付いた。
確かに宮崎さんは飛行シーンという得意な技を封印した。けれど一方で作用ー反作用の基本的地力は手離していなかった。
こう書いてみて、宮崎さんの発言はこう読みかえられる。
『もののけ姫』は、それまでの宮崎さんの、娯楽性の強いアニメと違い、難解な作品だと言われる。
解答が容易に見出だせない挑戦的なテーマに挑んだ、と。
それは片面の真実でしかない。
通俗娯楽からシリアスなテーマへ、社会性へ、難解さへ。
しかしそのもう片面は、基本原理「作用ー反作用」の仕組みを、通俗的なカタルシスに使わない。封印する。
前者のテーマ的な/作風の違いはアニメーションの読み書き能力を知らなくとも気づけることだが、後者の《作用―反作用》の件は読み書き能力を知らないと実態を見誤る。
実際ぼくはこの後者に気付いて、『もののけ姫』が他の作品と変わらずアニメートする愉快さに満ちた作品として楽しめるようになった。
このように分かってみれば簡単きわまりないことだ。
しかしそれを指摘した人は、寡聞にして知らない。
ぼくもいまちょっと書いてみて、まだまだ平易な言葉で《アニメーションの読み書き能力》をうまく言い表せていないと反省する。途は遠い。
ぼくが気付いたアニメーション読み書き能力の、そのさわりを簡単に紹介した。
だがぼくの言葉を素直に聞いてくれる人がいるだろうか。
特に、本当に語りかけたい、劇場へ足を運ぶのはジブリの新作ロードショーだけ、という多くのひとたちに。
そんな風に気楽な気持ちでジブリ作品を観に足を運ぶひとたちは、僕の言葉を面倒くさいものとして退けないだろうか。
4.ジブリを定型的に語ってみると
たとえばこんな話をしてみよう。
さきごろ投稿した同級会の話を、《烙印》絡みで語り直してみよう。
この続き物で以前書いたとおり、宮崎駿さんが『風立ちぬ』をまだ構想している段階で、偶然話の断片を本人から聞いた。その話を第三者に披露して不快な応酬を受けたことも書いた。
それからしばらくして宮崎さんが引退宣言をした。
ぼくはそにニュースを知り、「これは最後の機会になるかも知れないから、あえて悪ノリしてみよう」と思った。
ぼくはジブリの話題をふられる度に、毎回毎回あの「『風立ちぬ』構想話」をひとくさり語ることにした。
相手がどんな反応をするか、どんなポイントに反応するか、ひそかに観察した。
そして定点観察のために僕は、語りの切り口を一貫させてみた。
「堀辰雄とゼロ戦、摩訶不思議な組み合わせだけれど、宮崎さんの手にかかると一本のアニメとして出来てしまう、その想像力・創造力は大したものではないか」。
同級会でもやはりジブリの話題をふられた。
十数回も繰り返した話なのでぼくはその場でスラスラと話してみせた。
この話題を話す度、その相手、そのときのシチュエーションに応じて、反応は様々だ。しかしその内実は同じなのだ。
今回、同級会のときは、十数人がテーブルを囲んでいて、てんで勝手にザワザワと話していたが、質問してきた相手にぼくが話していると、座がシーンと静まり、みんなが僕の言葉に耳をすまして聞き入っていた。
印籠をかざした助さん角さんの気分だ。虎の威を借りた狐の気分。
爽快感とウンザリ感が一緒に襲ってくる。
僕がどう巧みに「宮崎さんの創造力がいかにすごいか」を語ろうと、聞き手は「この男は宮崎駿と個人的な知り合いなのだ」という情報しか読み取らない。
だから、僕がこれから執筆にとりかかろうとしているアニメの論文が、どんなに素晴らしい出来になろうと、どんなに発見に満ち満ちたものになろうとも、多くの人はそんなことに関心を向けないだろう、という予想がいまから、悲しい気持ちで感じ取るのだ。
その虚しさを覚悟するための準備として、今回、悪ノリをしてみた。
そして出来ることなら、ちゃんと語りの切り口に沿って相手の興味を向けさせる風にならないか、と探ってもいた。
そして予想通り、なかなかに難しいと思い知る。
ぼくがアニメの論文を発表する媒体はとてもとても世界の片隅の、目立たないところにある。
所属していた北海道大学大学院の学会誌というなんともマイナーな場所だ。
せめてもと、印刷されたら、読んで欲しいアニメ関係者やアニメ評論家、アニメ研究者に送りつける・バラまくつもりでいる。
それでなにがしかに目が届けばまだいい。
けれどそのとき、「ジブリで働いていたのだからそう言えるのであって……」という、先に書いた、語りの《切り口》よりも、語り手の《出自》だけが問題にされて終わり、という可能性は、十分にある。
十分あり得るそんな処理のされ方を、よくよく覚悟するため、この秋、あえて悪ノリしてみた。
5.ジブリ語りを強いてくるもの
同級会でクラスメートの女性がひとり、ぼくの隣に席を寄せてきた。
相談事だという。
娘さんがジブリの作品が大好きだという。ジブリで働きたいのだと言う。
これだ、これだ。こういうのが困る、と思う。
ぼくはつとめて冷静に、丁寧に、ジブリの就職はアニメ業界でも最難関だと最初に断っておいて、そしてアニメの仕事の実態・その大変さを説明し、その就職口の見つけ方を教え、その上でジブリで働ける可能性への辿り方を伝える。
けれど最後に、相手が本当に聞きたいことをちゃんと答えてあげないといけない。
「僕は宮崎さんとは個人的な付き合いはあるけど、コネはないよ」。
相手の関心が、笑顔を維持しつつ、すうっとひくのが分かる。
ぼくは残酷な手順で説明したのだろうか。
残酷だったとしても、ぼく自身も手痛い目に十分遭っている。
この、一挙に無関心になってゆく視線。
オレからジブリをとったら、何にもないのかな?
これを烙印と言わずしてなんと言おう。
咎を犯した者への見せしめの焼きごてのように。
ぼくは同級会の席で、求めに応じてジブリに限らぬアニメに関してあれこれの話をしたが、でも結局、この同級会でのぼくの位置づけは、最初に誰かが口にした言葉、十数年前の同級会のときと変わらぬ同じ言葉だ。
「『もののけ姫』に名前が出てた石曽根クン」。
死ぬまで言われ続けるのだろう。
死んでもそのひと言で彼らに悼まれるのだろうな。
ぼくは疾うに『もののけ姫』から出発して、ずいぶん遠いところまで来ているが、周りの人はいつまでたってもぼくを『もののけ姫』という一本の棒杭にひっぱり寄せて結びつけようとする。し続ける。
この烙印モノの続きもの、ひとによっては過去の栄光(?)にしがみついている回想記のように見えるのかも知れない。
過去の栄光(なのか?)へとぼくを押し立てているのは周りの人なのだが。
けれどこの続きものはまだまだ続けます。
「ジブリだった石曽根」な点にしか興味のないひとには、一生懸命説明しても耳を傾けてくれない、忘れがたい記憶、証言、感慨はまだまだある。あまりの耳の傾けてくれなさに落胆して、こういったことはもう公には話すまいと思うようにまでなった。
曲解されるだけだと思い知った。
だからこの続きものはプライベートな告白ならびに備忘録、なのです。
6.「逸材くん」のジブリ労働の実際
先日、『風立ちぬ』を観に二度目の劇場通いをした。
本編125分のうち、100分までは何とか集中力が続いた。
技術的なことはすっきり頭に入るのだが、総合的に作品を把握するのに途中から困難を感じ始めていた。
なにかおかしなことをやっているようだな、宮崎さんはまた。
テーマなりストーリーなりに難物はない。
しかしそれらがアニメーションの技術と絡み合っているように思え、またもや奇妙な試みが行われているのではないか、という疑念が途中から拭えなくなった。
その試みがどう成功し、どう失敗しているのか。考える要素が増えてきて頭が混濁してきて、また途中で席を立ってそのまま劇場を出た。また最初から観直そうと。
たとえば主人公青年は設計士として飛行機製作会社に入社するが、早速その「俊英」ぶりを試されるように特注金具の図面設計をまかされる。
青年は図面に向かって設計用の定規を当てて数字を書き込み始める。
これを見ていて僕は少々当惑した。正確に言うと、当惑していいものかどうかに当惑した。
これはオレが新人演出助手として働いていたときの、あるシチュエーションとまるっきりそっくりじゃないか、という当惑感だ。
いやそんなはずはあるまい、そんなこと宮崎さんが覚えてはいまい、と当惑を振り払おうとするが、その自分のあり様にも当惑してしまうのだ。
青年は上司の口から職場のスタッフに向かって、「俊秀に聞こえた何々君が来た」と紹介される(そんな感じのセリフで紹介される)。
ぼくも実際、ジブリに入社したとき、宮崎さんがスタッフに向かって「逸材クンが来たぞ」と言って紹介されたのだ。
「イシゾネ」と「イツザイ」の何だかゴロがありそうでなさそうな、しかし本人にしてみれば迷惑きまわりないアダ名をいきなりつけられたのだ。
入社して一、二週間は、皆から呼ばれ続けた。「よう、イツザイくん」。
そんな風にして始まった研修期間を苦々しく思いながら、ぼくはQARを操作していて背後には動画検査チーフの舘野仁美さんが後ろに控えて動きのチェックをしていた。
新人演出助手のぼくは一緒に動画の出来具合をモニタでチェックしていた。
「どう思う、これ、イツザイくん?」と舘野さんは呼びかけてきた。
この「イツザイくん」というアダ名は半分からかいの意味があったのだが、しかし舘野さんはそういうニュアンスをまったく付け加えず、むしろ好意的に使っている感触だった。
「舘野さんまでこんな風に呼び始めたら、取り返しのつかないことになるぞ」と思って、思い余ってその場で舘野さんに頭を下げながら「そのイツザイくんと呼ぶのは、どうか勘弁して下さい」と言った。
舘野さんは困った顔をしてその場はやりすごされたが、それから一週間もしないうちに、気がつくと誰も僕のことをイツザイくんとは呼ばなくなっていた。
舘野さんの優しさと気配りには本当にいまでも感謝している。(四年前に久しぶりにスタジオを訪れたとき、同期の仲間でさえ「いまさら何で来てるの」みたいな冷たい視線を向ける中、舘野さんだけは何ら迷いもなく僕の再訪を喜んでくれた。うれしかった。)
そしてそんな「イツザイくん」だったぼくが、あるカットのために宮崎さんから指名されて、カメラワークを大きく振るための、撮影指示用の「目盛り付」を「定規」を持ってやらされた。
演出助手チーフからの指示でなく、宮崎さん本人から頼まれたのが印象的に覚えている。
しかし何にしろ初めての作業で、まだアニメーションの専門的・技術的知識がないのだから、四苦八苦して計算して製図した。
「出来ました」と宮崎さんを呼んで見てもらうと、宮崎さんはその設計図のあり様に目を丸くしてる。アニメのイロハとは違う手続きで計算してあったのだ。理には適っているが、「アニメ制作の共通言語」としては伝わらないものだった。
宮崎さんは怒ることなく、むしろ馬鹿笑いした。
「発想が全然違うとこうなるのか」。
カラカラと笑いながら図面をひっつかんで行ってしまった。
もちろんボツである。
僕は冷や汗で背中がグッショリだ。やっちまった。
『風立ちぬ』の「俊秀クン」はもちろんそんな失敗はしない。
しかし『風立ちぬ』の、新人への嫌味まじりなわざとらしいアダ名と言い、定規を持たせた製図作業と言い……
このシーンを観てぼくはギクリとしてよかったのだろうか。
もっとふさわしくギクリとしたジブリ期待の新人がいるのかも知れない。
ちなみにその製図を任されて(そして失敗した)カットは、シシ神が頭をもがれてダイダラボッチへと変身し、森から鬱勃と立ち上がるカットです。
7. ジブリの特権的な思い出
そう書いてきて思い出した。
『もののけ姫』中盤、サンがタタラ場を襲おうとして山頂から見下ろすとき、そのタタラ場の屋根から製鉄作業の煙がただようシーン。
その煙の動画がうまくなくあがってきた。
演助チーフは動画マンにそれを差し戻す勇気がなかった。
で、サード演助の僕にその動画を一枚一枚切り貼りさせ、うまい具合に動くようにと指示した。
アニメに無知に近い新人にやらせるには無茶な指示だし、そもそも合理性に欠けた指示だ。
スタッフと交渉する勇気がなく/ただいい顔したいがために、部下に対して無用な指示をして、現場に無用な遅滞を起こす。
この人とはスタジオにいて一年半後に本格的に対立することになる。
いま思い出しても、本当に上司として無能なひとだったし、この人の存在が遠因となってぼくはジブリをやめていたりする。
(そして僕がジブリを辞めた半年後に、このチーフはクビになったそうだ。)
しかし先々にそんな衝突が起こるとも知らず、そのときはまだチーフの指示を言うがままにやり続けた。
動画の一部を切って貼っては動きを直して、チーフに見てもらい、毎回ダメ出しを食らって、また切り貼りの繰り返しをしていた。
秒数にして二、三秒のカット。枚数にして十数枚だったと思う。
その切り貼りを三日間、ただその切り貼りの作業だけを延々と、QARの機械にへばりつくようにしてやっていた。
頭がおかしくなりそうだった。
これもまだ研修期間中の頃だったと思う。
一心にこれが仕事というものの辛さだと、その労働の不条理さに気づかずやり続けた。
アニメーター部門の同期新人が遅くても午後の8時には帰宅していたのに、僕はその切り貼り作業を11時過ぎまでやっていて、「これ、なんだか、理不尽な仕事だなあ」と気づき始めていた。
そんな夜中のスタジオで、宮崎さんが手洗いから帰ってきて、ふと通りかかって、僕が前日、前々日と変わらぬ作業をしているのをチラッと見て、
「お前さんもしぶといね」
と言うと、またカラカラ笑って、自分の仕事へ戻って行った。
結局このカットは翌日四日目にして、宮崎さんの(チーフへの)お叱りが入り、動画マンに差し戻されたのだった。
「なんちゅう不毛な仕事をさせられたんだ」と怒りがやまず、あの当時はカラカラ笑って去っていった宮崎さんにも怒りを抱いたものだった。
ただの回想話だ。
そしてこういう特権的な回想は、聞く者に理不尽な嫉妬を起こし、ただの自慢話だと曲解される。
話は同級会に戻って、まだ独身女性の元クラスメートに脂ぎった調子で言い寄って、デカイ声を張り上げる自衛隊勤務の男が、地元松本でロケーションした映画の、そのひとつのロケ先として自分のアパートが使われたことを話し出した。
へええ、と思い、撮影に立ち会ったのか、どんな風に大道具さん、小道具さんが部屋をいじったか、興味津々に聞いてみる。
ぼくとその男性にはさまれたもうひとりのクラスメートは、かなり立ち入った撮影現場話に困惑しているようだったので、僕は言い訳のつもりで言い始めた。
「僕も自主制作の8ミリ映画を作っていたんで、興味があるんだよ。ロケに選んだ場所を撮影向きにいろいろ細工したりするんだけどね……」
と説明し始めたら、ロケ先を提供した男性がいきなり、
「ウオー! ウオー!」
と大声を上げ始めた。
びっくりして僕が言葉を途切れさせると「その映画のプロデューサーはよ、すっげえ器がデカくてよ、それでよ、それでよ!」
ああ、と思う。話のお株をぼくに奪われるのを牽制したのだ。
立派な商業映画の話を、たかだか学生映画で張り合うつもりなんかないよ。
面白い話、興味そそらせる話をお互いに披露する、という関係ではなかったことにそこでようやく気付かされる。
「オレの方がすごいんだぞ」大会だったのだ。
そして僕のジブリの話がそういう風に(この男性に)聞かれていたのだなと気づき、一気に気がなえるのだった。
8.ジブリだけではないぼくのために
学会の話から始めて、ジブリの話をしたり、同級会の話をしたり、アニメ論文の方へ話を振ったり、回想話をしたり、あちこちへと話をわざと振り回した。
それもこれも、この続きものを通じて、ぼくという存在が「ただジブリだっただけの存在」へと自ら陥るまいとしている、そのためだったりする。
そしてこれを読んできたひとびとに、ジブリの話「だけ」を期待する読者に読む気を削がせようとしてきた。
毎回言ってるような気がするが、正直なところ、これは読まれることを期待しないで書いています。
ただ書き残しておくモチベーションを維持するために、あるいは読まれているかも知れない、という可能性に辛うじて支えられながらこの書く作業をやっている。
ぼくが自分から積極的にジブリの話をし始めたのも、自力で作り出した《アニメーション・リテラシー》の言語化に目処がついたからだ。
いや、《アニメーション・リテラシー》なんて仰々しい言葉で自分の理論を命名したくない。もっともっと身近にアニメの面白さを知ってもらえるような命名はないものか。
もう、ジブリで働いていた、だけの人間じゃない。
自前の力で手に入れた/自分にしか語り得ない、そういうアニメの見方を、持っている。
ぼくはようやく、そういう自信を得た。
人が何と言おうと、「ジブリで働いていただけ」の人間ではもうないと思っている。
それ以上の、ありあまる《語るべきもの》をぼくは知っているし、持っている。
ひとが興味本位でジブリの話題を振ろうが何するものぞ、と思いたいのだ。
そこまでのこだわりが十数年とつきまとう。
《烙印》たる所以である。
しかし、だ。
「それ以外」なアニメ論者のぼくの側面に、ひとびとが全く興味を持たない可能性には、さすがにめげる。
仮に幸運にもアニメ論者として世間に認められようと、このようにめげる局面には幾度となく遭うだろう。
9. 有名税いろいろ
以前話題にした津野海太郎さんの著書『歩くひとりもの』。
ここにはぼくも名前や著作や実際その文章を読んだ人物が、津野さんの知己としていろいろ出て来る。
小野二郎、粉川哲夫、小沢信男、篠田一士、斎藤晴彦、植草甚一、黒川創、長谷川四郎。
津野さんが彼らと言葉を交わし、親しみのこもった交遊をしている/していた様が披露される。
単なる読者に過ぎないぼくは、その交遊の様を読みながら、正直羨ましく思ったりする。と同時に、読書の対象に過ぎなかった存在をそんな風に生きた姿で魅力的に描き出してくれる津野さんの文章を楽しく読んでいる。こう顧みるとそんな津野さんの文章に感謝すべきだろう。
そんな津野さんもまた、めげていたりするのだろうか。
『歩くひとりもの』が単行本から文庫本になるあいだに、津野さんは「ひとりもの」ではなくなった。独身だったはずが結婚したのだ。
結婚した津野さんがひとりで酒場で酒を飲んでいたら、近くでやはりひとりで飲んでいた女性が、帰り際、津野さんの耳元に近づきささやいたと言う。
「歩く裏切り者」。
気が利いたセリフとは言え、無責任に傍若無人な読者のその言葉に、津野さんはいたく傷ついたことだろう。「知名人」・津野さんはだからお返しに、文庫本化に際してその事件を気のきいたエピソードとして披露し直して、その読者に「復讐」する。その女性はそれを読んで狂喜したかそれともしてやられたと思うのか。
「有名税」。
この言葉を思うたび思い出すエピソード。
以前もどこかで書いた覚えがあるが、映画監督・黒沢清が新作映画のプロモーションに札幌の映画館にやってきた。
質疑応答の時間がもうけられ、いくつかの質問が出た後、ひとりの女性がこう質問した。
「お好きな色は何色ですか」。
黒沢監督がハッと目を開いて、ガクッとした気配で固まった。それでも氏はすぐさま気を取り直して真面目に答えていた。
有名とは大変だ。
劇場に居合わせた八割方の客はこの質問者に対して脳内でこうつぶやいてことだろう。
「馬鹿、馬鹿。頓馬。間抜け。」
しかしそれはひとびとの脳内で響いているだけで、肝心の黒沢清氏を救ってはくれない。
日本が愛国調に誇ってすらいいぐらい、日本屈指の映画監督・黒沢清ですら、こんな馬鹿げた応答を強いられる。
だから、有名ですらないはずのぼくが馬鹿げた応対を迫られたとて、仕方ないと、このエピソードを胸に刻むべきか。
それでもやはり、有名であるはずもないのに、こんなに迷惑を被って/ジブリなどなくなってしまえ!とときどき思う、そんなやりきれなさは、まだ解消しがたい。
9.宮崎駿さんと。ある貴重な思い出
と書いていてまた、宮崎さんとの思い出がよみがえった。
仕事の合間に宮崎さんは、メインスタッフルームの長テーブルをはさんでぼくと対面しながら、こんな映画を作りたいんだよな、と語りだした。長机を間にはさんでいたのだから、何らかの素材のチェックが終わったところでの何気ない話だったのだろう。
話題は、サン=テグジュペリ『夜間飛行』のアニメ化。
そのワンシーンがこんな風なんだ、と宮崎さんが語りだした。
郵便飛行船が暴風雨に見舞われ、なんとかその嵐をくぐり抜ける。
もう深夜だ。
さきほどの嵐が嘘のような、静寂の中の飛行。
海面上を飛び続けるが、星すら見えない真っ暗闇の中をひたすら飛び続ける不安。
明かりの目星がないので、いつなんどき海面につっこむか、あるいは
岸壁に正面衝突するか、分からない。
命がけで、ただ飛び続ける。
そしてある瞬間、錯覚かと思うようなかすかで、おぼろげな瞬きが眼球に点る。
いや、錯覚ではない。
あれは岸辺に灯る光だ。
飛行士ははじめて全身の緊張感がどっとほぐれて歓喜に包まれる。
助かったのだ。
わたしは遂に助かったのだ。
わたしの眼に灯る、はるか遠くに光る一点の瞬き。
そんなシーンを作ってみたいんだ。
宮崎さんが語りつのっているとき、僕はある感動に包まれていた。
宮崎さんが作りたいと語るそのシーンが、いまその瞬間、アニメの画面としてまざまざとぼくの脳内に映っていた。
宮崎さんの語りの巧みさにはすごいものがある。
その語りに導かれてぼくは、そのシーンがあたかももう完成されたアニメの画面であるかのように、ぞくぞくと体感していた。
そのときぼくと宮崎さんは、架空のアニメの映像を幻視して見事にシンクロしていた。
ここでぼく自身のことに引きつけて言うエゴイズムを承知のうえで言えば、あの瞬間、自分にはアニメを作る想像力があるな、とはじめて自覚した。
自分語りを恥とはすまい。
それを恥と決めつける何らかの決まり事、社会的なルールなり、倫理観であれ、ナルシズムと言ってやまない揶揄なりが、本当に言い残しておくべきことの出口を、無残に閉ざしてしまう。
自分語りの色彩を消して同じことを別様に語ることもできるだろう。
それは出来るようになったとき、そうすればいいと思う。
しかしそれが出来る前に忘れてしまうことも多いのだ。
実際そんな《つまらぬ枷》のため多くのことを忘れてしまった。
だから今からでも間に合うように、こうして語っておくのだ。