gと烙印(@アニメてにをは)

ジブリにまつわる回想、考察を書いていきます。

【ジブリの給与明細について】その1~観光スポットになって

★はじまりはじまり
ぼくがツイッターであげたジブリの(25年前の)給与明細が、ネット上ですこし話題のようです。
この件でぼくが経験したことを、いくつか書いていこうと思います。
これはその第1弾。

問題となった記事のyahoo版がこちら。

news.yahoo.co.jp

これ、ひどいな、と思うのは、元記事では引用されていたツイートやそこにくっつけた画像がすべて省略されていることですね。それだけでずいぶん印象が違う。
元記事はこちら。

ジブリですらこんなに過酷なのか…1997年当時「新人2年目の給与明細」にネット騒然 公表した元演出助手の思い|まいどなニュース

★《観光》スポットになったわたし
この件について思うところ、いろいろあるひとは一定数いると推察できるだけに、まず言うことがそれかよ!とつっこみが入るかも知れない話題から始めます。

しかしこれからする話は、この記事の反響で一番インパクト強く思ったことであるのも確かなんです。

昔から出不精なぼくは、ほかのひと(知人や他人)が旅行をしているのを見たり聞いたりすると、「そんなお金があっていいな……」と思いつつ、「そんなことして、何になるんだろう?」とも正直思っていて、「でも、これはひがみなんだろうなあ……」と複雑な心境になることが多かったのです。

でも今回、記事の反響で、ツイッターのアカウントを訪問してくる沢山のひとのアクションを見て、
「あ、観光旅行って、こういうことだったんだ!」
って、長年の疑問がようやく氷解しました。

★旅行が《観光》で終わるひとたち
結論を言ってしまうと、
「観光旅行って、予め見たいものを決めておいて、実際行ったさきで《それ》だけを見て・満足して、そのまま帰る、そういう”貧しい”行動が《観光》なんだな」ってこと。
言葉をかえて言えば、
「見たいものしか見ない・視線」、それが観光。

「じゃ、それ以外に何があるわけ?」
と問われたら、ぼくの場合、
「行ってみたら、思いがけないものに出会って、予定が大きく狂う」
そういうものだと思ってます。

「そんなの、おれだって、そうだよ」
そう言うひともいるかもしれません。
でも、ぼくのアカウントを見に来たひとの8割9割は、記事にリンクされたつぶやきだけ見て、そのまま帰っていきましたよ。

そのついでに名所のおさわり仏像でもさわるような感じでそのつぶやき「だけ・いいね!」したり、記念写真を撮るみたいにそのつぶやき「だけ・リツイート」したりして、そのまま去って行くのが、体感として伝わったんですよね。

★《それ以外》に目がいくこと
このアカウントに足を運んで、目当てのツイート以外のものに目を配っている人はとても少ない。
いまこの記事を目にしているのは、そんなごく少数派のひと。
どれどれ?と観光スポットに来てみたら、「あれ、予想とちがって、何かヘンなものがいろいろあるな」と気づいて「フォロー」した、そういうひとたちが、いまこの記事を読んでいるのではないでしょうか?
この瞬間、その営みは「観光」じゃないタイプの「旅行」になっている。

実際ぼくも、旅行に行くとだいたい「観光」じゃなくなるんですよね。

ちょっと余計な、思い出話をします。飛ばして読んでくだされば。

函館に旅行に行ったときに、いまも強烈に覚えているスポットは、路面電車の終着駅を降りて、いろんなデザインのマンホールを追ってそのまま歩いていたら突然目の前に現れた、古くて巨大な小学校建築。
象と至近距離で対峙したかのような圧倒的な存在感で、「何、これ?」と。
近所の靴屋のおじさんが舗道の植え込みに水をやっていたので、あの小学校のいわれを聞いてみたら、怪訝な顔されました。旅行から帰ってネットで調べても、存在は確認できたものの、別に記念すべき建造物ではありませんでした。
でもあの小学校が、ぼくにとって函館の一番の思い出なのです。

韓国に旅行したときは、大学院の研究室仲間で行ったから、戦史記念館とか一応見に行きましたね。
でも、それもまた「観光的」でわけで。
というのは、研究者として自分たちは「知的な存在」だから、それ相応に「知的に・誠実に振舞おう」と、そういう「硬派なスポット」に行っただけで、それもまた「観光」に過ぎないのですね。
ぼくは自由行動の日、ソウルの街を無目的に歩いていて、海賊版DVDを売ってる店がやたらに多いなあと思って、そのひとつの店に入ってみました。ラインナップを見ていると、韓国アイドルグループのライブDVDがけっこうな数あって、日本ではぜんぜん知られていないけれど韓国では熱狂的なファンが相当いるんだろうなあと想像すると、そのギャップに好奇心が刺激されました。
そうですね……ちょうど「冬のソナタ」ブームがまだ終わってない2000年代前半のこと。韓国のアイドルグループがまだ大々的に日本に進出していないころです。いま振り返ると進出の模索期にあったようです。
SESとかファンケルなんてアイドルグループのDVDやVCDをいくつか買って日本に帰って観たりしました。
それが韓国の(自分用の)土産もの。

なに書いているんだろう。

もうひとつだけ書かせてください。
沖縄に旅行したとき。
リゾートやグルメや観光スポットも回りました。
それから報道で定期的に伝えてくる、在日米軍の基地を見たくて、レンタルスクーターで基地の方まで接近しました。
でも一般人は遠巻きに見るしかないんですよね。
米軍家族がコテージの庭先で焼肉パーティーしてるのをフェンス越しに見ながら、ふっと、今日は日曜だったんだ、だから上空を飛行機が飛んでないんだなと気づいたり。
帰り道を、違うルートで那覇へたどっていたら、日が暮れかけるころに偶然広い公園で縁日が開かれていたので、スクーターを下りてなんとなく寄ってみたら、5対5ぐらいな数で日本人とアメリカ兵が行き交っていたのが印象的です。
でも、報道関係者並みに基地問題を知りたいと思ったら、案内してくれるコーディネーターが必要なんだなと痛感しました。ぼくが出来たのは見物人レベル。
でも、だとしたら、そういうコネクションのない「本土からの・一般旅行者」にとっての「基地のリアル」って、なんだろう?って。
いまも答えが出てないです。

★結句
話を戻すと、今回ぼくが炎上させた・いくつかの記事の反応だけ観察していても、多くのひとは《旅行がはらむ・しょせん”観光的”でしかない・体験》で満足しているんだってことがよくわかりました。
目当ての記事「だけ」見て、手でさわって、記念写真撮って。
その程度で、あの記事のことを「わかった」気になられてもなあ。
どこか炎上するたびそのスポットへ《旅行》しても、その話題の箇所だけ・いいね!して、記念写真撮って、そのまま帰るんじゃ、それ《観光》なんだよね。

今回ぼく自身が「観光スポット」になってしまって、その「観光的リアクション」の安易さ・皮相さ・貧しさをまさに「体感」できて現れたこの感慨です。
《観光的に・生きている》ひとはだから、みなさんがいま読んでいる・この記事に一生たどりつくこともないのでしょうね。

これがあの露悪的な記事に、あえてゴーサイン出してまで経験したことの、成果そのいち、なのでした。

ぼくはツイッターから場を移すと、大したことのない話を、こんな風に、長々と書いてしまう人間なのでした。

つづきはまた後日。