gと烙印(@アニメてにをは)

ジブリにまつわる回想、考察を書いていきます。

【質問箱】RE~その6

「質問箱」に集まった質問とその回答、その6です。
当日(頭が疲れて)答えられなかった・大事な質問にも答えて始めています。問題発言もちらほら。


【前回の、その5はこちら】

animeteniwoha.hatenablog.com


★質問51
アニメーター不足が慢性的に問題視されてますが、昔よりアニメーターの国内の絶対数は増えていますか?

■回答51
わたしはシンクタンクではないので答えられません。
適切な回答できるひとに問うてください。 

 

 

★質問52
ジブリで仕事をして勉強になったことは何ですか。仕事面、考え方の面など何でも大丈夫です。

■回答52
●とても理想的な目標をかかげて立ち上げ・運営されている会社・職場であっても、腐った人間たちが根を張っているし、理想を掲げた本人も矛盾していたり、葛藤していたりしていることを知ったこと。
●わたしの上司のような最悪に陰湿で狡猾な人間に巡り合ったこと。この人物はスタッフたちに愛想がよくて評判がよかったのですが、ぼくにだけ悪意に満ちた行為を執拗に仕掛けてきました。「悪人」とはこういうひとなのだなと思いました。残忍な人間にはそれまでも多く会ってきましたが、こういう狡猾さとしつこさは類を見ないものがありましたね。
●この上司に典型的なのですが、自分が業務で身につけたことを、第三者なり新人に教えるための言語化能力が著しく劣っているひとに出会ったことも驚きでしたね。「よく今まで仕事してこれたな」って。
●一方で奥井敦さんや田中直哉さんのように、ずぶの素人でもちょっと一緒に仕事しているだけで「あ、このひと、仕事できる」って分かるんですよね。田中さんは飄々ととぼけつつ、相手のことをしっかり見ていたし、奥井さんは仕事に厳しいけれど人格的な高みがあるから圧倒されました。
●そうですね。奥井さんや田中さんのことを書いていると、あのひとも、このひとも、書いてみたいですが、質問の趣旨から外れますね。
●作画なり、各部署でのそれぞれの技量にはすぐれているものを持っていて、そういう一流とも言える実力を持ったひとが(当時)100人集まっていても、ひとつのアニメ作品を構想することが出来るひとはいない、ということが衝撃的でしたね。
 宮崎さんが将来の作品のためにこんな原作で作品は作れないかって「企画検討会」を会議室で有志スタッフが集まって始めたんですね。
 宮崎さんが十分ほど、どわーっと構想を言うんですよ、例の調子で。
 それで、会議室の三方で宮崎さんを取り囲んだ面々が端からひとりずつ意見を言わされていくわけですよ。
 すると、みんなイエスマンなんですよね。「お説御もっとも」とか「素晴らしいです」とか。
 おいおい、大丈夫か、こいつら?と思って。
 ぼくは真ん中あたりにいるんで、あと3~4分はあるなと思って、ぐわーって、宮崎さんとは全然違う切り口で冒頭から途中までの展開を必死で即興で考えて、でついにぼくの番になったんです。
 ぼくはいま考えついたばかりの別企画案をどーっとしゃべり始めたんです。
 すると場の空気がみるみる悪くなって、視界のなかにいる制作進行とか「お前、黙れ。お前、黙れ」って目でサイン送ってくるし。
 もうその場の・悪いプレッシャーと必死で戦いながら、どれくらいしゃべったんだろう?3~4分ぐらいでしょうか?最後までしゃべり終わったら、シーンと会議室が静まり返って。
 やべ~と思いつつ、でも、お前らがイエスマンだからこうするしかなかったんだよ、って思いつつ、背中に冷や汗タラタラかいて。
 すると宮崎さんがガハハって笑って「じゃ、次」。
 これには後日譚もあります。
 企画会議が終わってみんな残業に戻って、ぼくも作業をしていたら、宮崎さんが通りかかって、
「お前の語りには、なぜか引き込まれるところがあるな」って言って、「でも、ヒロインの魅力が伝わらなかった。そこは宿題な」と付け加えるとガハハと笑って自分の机に戻っていきました。
●質問は「ジブリで仕事しながら勉強になったこと」でしたね。
 一流のひとと仕事が出来て、そのなかで自分がどれだけのことが出来るかを知ったことですね。
 しかし一流のひとと仕事したり、自分のやったことをそのひとに評価されたりすることは、厄介なことに、二流のひと、三流のひとにとっては不愉快でたまらないのですね。
 その相手が一流かそうでないかって、ぼくがジブリで突出して行ってきた流儀を思わずつきつけてしまったときに、反応として如実に出てしまうんで、「あ、しまった、またやっちゃった」って反省するんです。
 これ以上書くと不穏になるので、ここまで。

 

 


★質問53
描いていて、ワクワクした作品はなんですか?

■回答53
ぼくはアニメーターではなく、演出助手だったので、お答えする資格がありません。すみません。 

 

 

★質問54
赤い光弾ジリオンサムライトルーパーはもっと世間で評価されてもいいと思いますが、プロの見解をお願いします。

■回答54
すみません。ぼくは観てないのです。
ぼくは「プロ」でもないですし、アニメマニアでもないので、ご理解ください。
2作品のことは頭の隅に置きましたので、また機会があったら、観ると思います。

 

 

 

 

★質問55
石曽根さん的な観点で映像作品を視るためには作品自体をどういう観点で視ればいいのか、またそのためにどんな勉強をすればいいのかを教えていただきたいです。

■回答55
ぼくみたいに観る……
こういう見方はそもそも、ぼくがジブリで働いていたとき、十数万枚のセル画のチェックを延々と・気が狂いそうになりながらやっていたり、ラッシュフィルムの上映では誰よりも早くミスに気がつくよう心がける・一種の動体視力を磨いたり、という現場での訓練の結果、偶然生まれた「視点」なのです。
よくも悪くも、スタジオでの経験で身に染みつくように芽生えたものなのです。

質問してくださった方は、「石曽根のような観点・視点」にこだわらず、むしろ「他の人はこう見たりしているのに・自分にはこう見えてしまう」という「違和感」から出発して、「あなた独自の観点・視点」を磨くことが一番最適な手段ではないかと思います。

それはアニメの見方ではないかもしれません。実写映画の見方だったり、小説の読み方だったり、日々の観察の仕方だったり、あるいはそういった様々な経験に或る共通の法則に沿っていることに気づいたり……

質問してくださった方はぼくに敬意を覚えてくださるようですが、わたしは大した人間ではありません。
それどころか、わたしはこの25年間、ずっと孤独に無視され続け、それを耐えてきました。
今後もどんな扱いを受けるかわかったものではありません。
それでもいい、それでもやるのだ、というのなら、あなたにはいずれ道が開けていくと思います。
その道が確立したとき、機会があれば、ぼくに教えてください。待っています。

 

 

 

 

★質問56
鈴木敏夫さんと庵野秀明さんの対談で庵野さんがプライベートで度々ジブリに顔を出すと言う旨の発言があったのですが石曽根さんが在籍されていた頃にもそのような事がありましたか?もしあれば印象的なエピソードを教えて頂きたいです。また他にも印象的な来客エピソードがあればお聞かせ願いたいです。

■回答56
テレビシリーズの『エヴァ』で燃え尽きて放心した感じの庵野さんが現れて、宮崎さんがさかんにねぎらっていた姿を覚えています。
他にも来客はありましたが、これ書いていいのかな?というのばかりなので……
あ、あれがあるな。
もののけ姫』も制作が進んで声優陣も決まったところで、サン役の石田ゆり子さんがスタジオへ陣中見舞いに来てくれましたね。
ぼくは遠目に見ていただけですが、すらっとした長身に深紅のロングコートをお召しになられていて、「ああ、芸能人」という感じでしたね。

ジブリは『もののけ姫』を機に、国民的認知を受けて、宮崎さんも一躍国民的映画作家になったわけです。それ以前もマニアには評価されていたのですが、日本人ならジブリなり宮崎駿を知らない者はいないほどの知名度を得たのは『もののけ姫』だと思います。
まだ国民的知名度を得ていなくとも、ジブリに採用された当時、ジブリなり宮崎さんは天の上の存在でした。ぼくもぼくなりに、ジブリマニアだった時期が若いころあったのです。

母は息子の就職先に心配して興信所でジブリのことを調べてもらうほどで、父は東京キー局のテレビマンの親友に翻意の説得を頼んだりもしました。そのテレビマンは誰知らぬ長寿番組の構成作家をしていて、若いころは一時期、テレビアニメの脚本を手伝ったと言っていました。
そのひとが反対した理由は、アニメの世界は「地味で・きつい」ということでした。そして《本物の芸能界》を見ろとばかりに、担当していた番組の打ち合わせや収録の様子を見せ、偶然明石家さんまが沢山の取り巻きに盛んに話をしながら廊下をすれ違う様にも遭遇しました。

それに比べれば確かにジブリは《地味》でした。
でもだからこそ、「ここは信頼できる場所だ」とも思ったのでした。
ジブリについては愚痴が多くなってしまうのですが、はねっかえりを演じていたぼくにも、親しみを覚えてくれるスタッフが当時なぜか沢山いて、けっこう居心地よく・そして粘り強くスタジオの仕事に打ち込んでいたのです。
あの選択肢はぼくの中には全くなかったのですが、テレビ業界の方にもし転んでいたら、ぼくの人生や人生観はまったく違うものになっていたでしょう。
いまも昔も《華やかさ》には警戒する自分がいます。
そんな自分にとってジブリは、それなりに《精神的な意味での・厚生福祉》がしっかりしていたので、居心地よく働けたというのが、真実の別の一面もあります。

5~6年に一度はスタジオを訪れる機会があります。
でも自分都合で辞めたという申し訳なさがあるので、《アニメに関する収穫物》が出来たときだけスタジオに訪れます。
いまも《地味な》現場を見て、ほっとしている自分がいます。
だから、宮崎さんやジブリを神格化しているひとにとっては、ぼくの置かれた立場をうらやましいと思ってのはあるかもしれませんが、そういう関係になるためには、一度はこの《地味な仕事》に《打ちのめされる》必要があるのです。宮崎さんといい意味でも最悪な意味でも「同じ釜の飯を食った」仲にならないといけません。
そして、そうなったとき、あなたにとって宮崎さんは厳しいだけの上司になっているだろうし、ジブリというスタジオはただ《地味に大変な職場》に変化していることでしょう。

スペシャルなものが・スペシャルでなくなるとき》はじめてあなたはジブリの一員なるのです。それがうらやましく聞こえたとしても、スタッフひとりひとりにとっては《大したことない・ただのリアル》なのです。
うまく説明できなかった。
この件の説明はまた別の機会に。

 

 

 


★質問57
30後半ですがアニメ会社を目指し、バイトですがアニメ会社に入ることができました。
まだ若く志高い人たちに負けないよう頑張っていきたいと思っています。
仕事をするうえで心がけることはありますでしょうか?

■回答57
2年で辞めてしまったぼくの反省として言うと、清濁併せ呑みつつ「続けていくこと」が一番大事だと思います。 

 

 

 

 

★質問58
大卒でジブリに入ったのでしょうか?
■回答58
はい、そうです。

 

 

 

 

★質問59
かなり頭の良い印象を受けているのですが、俗に言う大手企業などではなくジブリに入社した理由を伺いたいです。

■回答59
損得勘定だけで生きている人ばかりではない、それだけのことです。 

 

 

 


★質問60
最近の若者について思うことはありますか?

■回答60
ぼくは文化人じゃないので、こういう質問は遠慮させてください。 

 

 

 

(その7に続いておわり)

animeteniwoha.hatenablog.com