gと烙印(@アニメてにをは)

ジブリにまつわる回想、考察を書いていきます。

gと烙印/村塾編~【1】応募

 その運命的な八百字を望【のぞむ】はどれほどの覚悟を秘めて書いたのか、今となっては不確かだ。
 大学三年の終わり、春休み、望は青梅の宿泊施設付の研修センターにいた。二段ベッドが並ぶ八人部屋の一室で仲間たちがとうに眠っているなか、もうすぐ朝があけそうな時間の中、望は机に向かって原稿の最終直しをしていた。手書きで原稿用紙のマス目を埋めていた。まだパソコンが普及せず、ワープロが主流の時代だった。八百字指定の短い原稿だったが、コンパクトに表現をまとめるのに苦労して、何度も書き直していた。望は青梅へ来るにあたって撮影機材を沢山携行しており、重く嵩張るワープロマシンまで持ってくる余裕はなかった。まだ手書きの原稿が珍しくない時代だった。
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 朝方、原稿にようやく見切りをつけた。封筒に入れて所番地を書き込み、そのまま部屋を出ると研修施設のつっかけでとぼとぼと敷地を出た。さほど遠くないところに郵便ポストが待っている。望は封筒をポストに入れた。念の為ポストの脇に記された回収時間を確認する。まあ大丈夫だろう。今日の消印がつくから、締切に間に合う扱いになるはずだ。
 望が書いていた原稿は、映画についての感想文だった。指定課題は「わたしの感動した映画」とあったが、「感動」という言葉に違和感をいだき、「わたしの印象に残った映画」と勝手にタイトルを変えて書き進めた。指定タイトルを変更して予選から落とすぐらいなら、落とすがいい。傲慢だったからではなく、それほど大した執着をその応募に感じていなかったのだ。
 実際望にはその原稿にさほど思い入れがなかった。ひとまず締切に間に合わせて出せたことに、ひと仕事終えたな、ぐらいの気分だった。そのときの望の念頭にあったのはむしろ、この青梅で連日続いている撮影のことだった。
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 望は気心の知れた仲間たちに協力をあおいで、この青梅の施設で四日間泊まり込みをして、八ミリフィルムの映画を撮っていた。
 大学生ふたりを主人公にし、この青梅の施設を大学寮に見立てた設定で撮影していた。この施設とその周辺で四日間撮影すれば映画の七割方の撮影が終わるよう、望は計算していた。望が監督の映画だった。
 この映画の制作のため望は三ヶ月昼夜ぶっ通しのホテルマンのバイトをして百万円ほど稼いだが、そのほぼすべてが機材やフィルム代であっけなく消えた。青梅の宿泊代は頼んだ仲間たちにそれぞれ自腹で来てもらっていた。その折り合いがつかず、降りた仲間もいた。それならそれでいい、と思った。ある程度の無理を聞いてくれる者でないと一緒に映画はつくれない。前作の頓挫した映画で望はそれを痛く学んだのだった。前作ではうるさく口を出して絶えず撮影を中断させる先輩の存在や、撮影が延び延びになって中途半端な段階で主役が降りたために、この作品の撮影は中止を余儀なくされた。だから今度こそは必ず完成させる。そのためには絶対服従するスタッフ・キャストが欠かせないと思った。そのための隔離するような青梅の合宿でもあった。撮影の始まったこの二日間、仲間たちの撮影中の段取りの悪さや指示の通りの悪さに対し望は暴君として振る舞った。率先して動き回り、思い通りになるまで粘り通した。望は表面に出さなかったが絶えず心細さと闘っていた。何の頼りもなく自分の意志を押し通すことに不安があった。暴君の頼りなさを、後に望はgで靄咲さんや朴さんの立ち振る舞いに見出すことになる。そんな不遜な感慨をいだくようになったのも、この無理な合宿撮影時の経験が陰画のように効いていたのだと思う。
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 青梅の合宿が終わり、残りの撮影を都下でぼちぼちと続けていた三月、通知が届いた。あの合宿の朝に投函した、映画感想文の返事が来たのだ。感想文は一次選考を通過、面接を行うのでいついつにgに来たるべし。
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 望が応募したのは、gで春から行われる、若手アニメ演出家養成塾だった。塾長はアニメ界随一の理論家・朴監督。その募集広告を新聞の片隅にみつけたのは偶然だった。もしこの応募が五年前、十年前だったなら自分はどんなに狂喜したことだろう。そんな仮定を考えつつ、望はしらじらした思いで、ひとまず記事は切り抜いておいた。望は十代の頃、熱心なgの崇拝者だった。中学、高校のあいだgの作品のポスターをいくつも部屋に貼っていた。あの波乱とドラマに満ちた世界がスクリーンの向こうに確かにあるというのに、自分の現実はなんと心寂しいものかとベッドに横たわりながらポスターをみつめ、いつまでも空想の世界を夢想していたものだった。
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 だが大学に入ってから映画サークルに属して、異質な映画文化に一気に呑み込まれた。サークルの仲間の教養に負けまいと、毎日映画館に通い、世界中の映画を古今を問わず浴びるように観た結果、望のなかのgの存在はいつのまにかずいぶんと小さいものに変わっていた。たった百年の歴史しか持たない映画が、花咲くように展開しきった多様な可能性を、存分に思い知った望にとって、gの提示する世界観が、なんだか他愛もないものに見えていた。
 また望は自分にしか作り得ない映画のヴィジョンもはぐくんでいて、それを実現しようと八ミリフィルムで映画の制作にとりかかっていた。デジタルカメラが普及するにはあと二、三年必要だった。だからそんなときにgのアニメ塾の応募を見つけて、これは自分が応募するべきものか、しばし考えてしまった。それほどに望のなかでgの存在はこの大学三年間の間に軽くなっていた。
 それでも望がgのアニメ塾に応募しようと思ったのは、塾長が靄咲さんではなく理論家の朴監督だったからだ。大学に入ってから四年目になるその間、自分が培ってきた映画についての思考が、アニメ界随一と言われる論客を相手に通用するか試してみたいと思った。そう気づくと募集要項は魅力的に見えてきた。朴監督を相手に自分の思考を試練にかけてみたい、それは全く不遜な動機であり、塾の応募者の多くが抱いただろうgへの敬意、憧れは、かけらもなかった。
 gにへつらうどころか、gに挑む。アンチgとしてgに乗り込む。その不埒さが望の人生を大きく変える出色の条件だった。
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 指定の日にgのある武蔵野横手駅を降りた。鄙びた駅前だった。面接案内状に同封されていた地図に沿って線路沿いを歩み進んでいくと、のどかな雰囲気で住宅地が続く。その住宅も途切れると畑がひろがり、乾いた砂が風に運ばれて望に吹きつけてきた。行く手に送電所が見えてきて道なりにゆるやかに左へ折れていく。左手に続いていた畑地に並ぶように花々がガラス張りの店内に咲き誇っていた。豪勢な花屋にみとれていると、その花屋の隣が、テレビで何度か見たことのあるgのスタジオだった。壁の白さが築年数とともにくすんでいて、ビルの表面全体を蔦がからんでいる。望は初めてスタジオの本物を見て、あったな、と思うばかりで、インパクトからすると隣りの花屋にはかなわないなと思った。隣りの花屋とのコントラストを活かして絵作りするカメラマンがいなかったのが不思議だった。遊び心に乏しいカメラマンにしか巡り合えなかったこのスタジオの不運を思いながら、望は玄関脇のチャイムを鳴らした。ぶっきらぼうな応答があったので面接に来ましたと答えると、入り口脇の部屋から短躯でがっしりとした、角刈りの男性が現れて、入り口のドアを開けてくれた。望が声を出そうとすると、短躯の男はそれを制して、
「はいはい、わかってるから。この階段を二階まであがって、野宮というひとに取り次いでもらいな」
 ひどくそっけなく、なぜかイライラした口調で男は言うと、事務所らしい部屋にひっこんでいった。初めての来訪者をこんな風に迎えるのがg流なのかと思いつつ、右手にひかえる階段をのぼっていった。短い階段は踊り場があって、その突き当りが会議室にでもなっているらしく「使用中」の札がかかっている。踊り場を回転して上へ向かっていくと、先程の男の素っ気ない扱いが作用していて、いやに心細くなっている自分を望は発見した。緊張していたんだ、といまさら望は思う。テレビの取材の様子を観たときはどこか熱を帯びて見えたあのスタジオだが、この冷ややかな階段はそこと同じ空間に接しているのかと疑わしいほど、いやにひっそりとしている。望まれざる客としてここに来ている心地になり、望はそうっと階段を昇り切った。
 二階のフロアに着くと正面と左手にふたつの扉があった。その角にコピー機が置いているだけで人気はない。しんとしている。正面にある入り口の向こうはパーティションで遮られていて、人の姿は見えない。一方の左手のドアの向こうには、机が並んでいてひとが仕事している背中が見えた。人恋しさに左手へ向かうことにした。
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「あのー」
 ドアを細く開けて顔をのぞかせてみたが、誰も気づいてくれる様子がないので、心細げに声を出してみた。
 こちらに背を向けていた若い女子社員がはっとして半身をこちらに向けて目を瞠っている。なにさまですか?と問いたげな、不審者とでくわしたような驚きの目つきをしている。
「面接の方ですね」
 頭上からいやにダンディーな声が降ってきたので今度は望が驚いた。完全に死角からの返答だったので、びくりとして咄嗟に声が出なかった。
「これからの時間ですと、逸見望【へんみ・のぞむ】さんですね」
「はい。アニメの塾に応募した、逸見です」望は背をそらすようにして相手に答えた。
「御応募ありがとうございます。私は、塾の運営をまかされている野宮、と申します」
 いま望が見上げるようにして対面した長身の男性・野宮氏は、スリーピーススーツで身を固めていた。ダンディーながら穏やかな声質にぴったりの柔和な顔が、黒縁の眼鏡をかけて微笑んでいる。野宮氏は左腕を曲げて時計をみると、
「ちょっと早いですが、前の人の面接はもう終わっています。このまま面接してよいか、聞いてきましょう」
 野宮氏は望の目の前を通り過ぎて左へと進んでいった。あらためて望はフロアを見渡すと、向かい合わせに机が並べられ、社員たちがそれぞれに仕事をしている。作業の姿からするとアニメーターではないようだ。むしろ普通のオフィスという感じだ。机の並びを通り過ぎ野宮氏が向かう先には、ガラス張りで出来た小さめの部屋があった。
 ああ、あそこが名高い「水槽」か。プロデューサー専用の部屋だ。テレビで観たことがある。野宮氏はガラスの扉を開けて中に声を掛けている。「水槽」の中で喋っていた二人の男性は野宮氏の声掛けでこちらへ振り向いた。望は遠くから確認した。朴監督と鱸木プロデューサーだった。彼らが面接の相手なのだった。

 

(その2へつづく)

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