gと烙印(@アニメてにをは)

ジブリにまつわる回想、考察を書いていきます。

gと烙印/村塾編~【2】面接

 ああ、あそこが名高い「水槽」と呼ばれる、プロデューサー専用の部屋だなと望は気づいた。
 野宮氏はガラスの扉を開けて中に声を掛けると、「水槽」の中で喋っていた二人の男性が話を中断して野宮氏を見た。望は遠くから、朴監督と鱸木プロデューサーだ、と認識した。野宮氏が声をかけると二人の視線は男性から望の方に向けられるのが分かった。鱸木さんは口を締まりなく開けて、銀縁の眼鏡越しに望を品定めするような目で見ている。一方の朴さんは机に肘をついて手のひらにあごを乗せ、つまらなそうに望を見ていた。ふたりとも、ちょっとお目にかかったことのない目つきだった。ああ、俺はこれからあのふたりに対峙するのだなと思うと、望は少しばかり残っていた不遜さも一気に掻き消えた。
 野宮氏は戻ってきて、望にダンディーに優しい声で言った。
「もう、いいそうです。あちらへどうぞ」
 あくまで善意の配慮なのだったが、望には心の準備すら与えられず進退きわまった。息がつまるような思いで野宮氏に黙礼すると「水槽」に向かって行った。バカバカしいと思いながら、礼儀のつもりで、向こうに丸見えのガラス扉をわざわざノックした。鱸木さんが伸び上がった姿勢で「どうぞ!」とよく通る声で言い、望はガラス扉を開けた。朴さんは冷酷に観察する目つきで望を見ていた。
「よろしくお願いします」望は言うと、あいている椅子が目の前に三つもあるので、どれに座ったらいいか分からず、もじもじして立っていた。
「好きなところに座って」
 近くから見ると、鱸木さんは向かいの椅子の上で、あぐらをかいて座っているのが望の印象に残った。望は迷っても仕方がないと投げやりな気持ちで真ん中の椅子を選んで座った。鱸木さんと朴さんに左右から均等に睨まれる形になった。
 切り口上は鱸木さんからの質問で始まった。望の経歴や大学でのサークル活動のことなど、提出した履歴書を確認しながら次々と質問してきた。甲高く脳に響くような声で、ぐいぐいとつんのめってくる口調が特徴的だった。望も急かされるような気持ちにさせられ、考える暇もなく、口からついて出るように急いで答えた。その間も朴さんはつまらなそうに望を見ているだけだった。
「きみは、この塾をステップにして、今後どうしたいの?」鱸木さんが聞く。
 望はちょっと返答に困った。朴さん相手にどれだけ勝負できるか試したいだけだ、などと正直に答えるのは、さすがにまずいと思った。
「演出家養成塾とは聞いて来ましたが、だからと言ってアニメの演出家になりたいかと言われると、まだそこまで気持ちは決めてはいません」
「あれ? きみ、アニメ、好きじゃないの?」呆れるような調子で鱸木さんが問う。
「それは、なんでも好きというわけじゃ、ないです」
「うちの映画は見てるの?」
「それは見てます」
「どうなの?」
「どうと言うと?」
「好きなの? 嫌いなの?」
 ずっと黙っていた朴さんが、突然鱸木さんの話をさえぎった。
「そんなこと、どうだっていいじゃないですか。そういう型通りの面接はもうやめましょう」
 鱸木さんがぴくっと体を動かすと、そのまま黙った。
 朴さんは手許にあった書類を手にとると、望に初めて質問をした。
「今回出してもらった感想文ですが、これ、何か参考にしたんですか?」
 鱸木さんの矢継ぎ早の質問攻勢から救われたと思ったら、朴さんの方はなぜか怒っているような口調である。
「いえ、まったく自分でいちから考えたものです」望は反射的に正直に答えた。言い逃れしても仕方ないと思ったのだ。
 朴さんは望をじろりと見つめたかと思うと、手許の書類に目を落とし、鼻息荒くため息をついて言った。
「これ、『ミツバチのささやき』ですね、この映画に出てくる風景、その消失点を少女の心象風景のリミットと捉える。これはなかなか独創的だと思います」
 ようやく望は、朴さんが手にしているのが自分の感想文の写しだと気づいた。自分の文章を、あの朴さんが実際に目を通したのだという驚きが、いまさらに望を貫いた。
 その新鮮な衝撃は、望の思念を流れるように突き動かした。望はつづけて言った。
「そう言われて思い出したのですが、言い訳になるかも知れませんが、この映画の風景が常に地平線を意識していると指摘しているのは、表層批評で知られる映画批評家のHさんでした」
「Hは私は認めないですね」朴さんは吐き捨てるように言った。その露骨な嫌悪の表情を見ながら、望はこの面接も終わったかなと思いながら、言うべきことは最後まで言ってしまおうと思った。
「風景の遠近法についてはHさんの指摘を借りています。でも、それを少女の心理とその世界観にからめて考えたのは自分の独創だと自負しています」
「なるほど」朴さんはついていた肘から顔を起こし、そのまま腕を組んだ。そのまましばらく中空を見ながら考え事していたように見えた。
 突然鱸木さんの方に顔を向けると、朴さんは破顔一笑して言った。
「来ましたね」
最前までの気難しさが嘘のような、喜びに満ちた笑顔だった。
「そうですね」鱸木さんはおもねるように微笑して答えるだけだった。同意しているようには見えなかった。半信半疑な様子で、望を困ったように見るだけだった。来た? なんのことだ? 望はふたりだけの会話の秘密に戸惑った。
「これを観てください」
 朴さんは急に真顔に戻ったかと思うと、テーブルにおかれていたリモコンを手にとった。この、瞬時にくるくると変貌する朴さんの態度をみて、ああこういう人なのだな、となぜか望は得心したような気持ちになった。朴さんは手にしたリモコンをサイドボードに置かれている小さなテレビデオに向けた。テレビがつき、ビデオテープが回り始めた。gでテレビデオなんか使っているのかと、望は何だか意外な気がした。テレビデオはテレビかビデオのどちらかの機能がおしゃかになると両方一気に使えなくなる。とても不経済で不可解な家電だ。そんなものがgにある。
 そう思っている間にビデオの画面が流れ始めた。土堤の下に立ち並ぶ長屋でひとびとが行き交っている。小津安二郎の『お早う』だろうか。しばらく三人でビデオを見ていたが、映画のストーリーの進展とは関係なく、朴さんは突然リモコンをとりあげてテレビを消した。
「いまの映像はどう思いますか」
 今度の朴さんは、試すというより純粋に好奇心で聞いているように聞こえた。無邪気、という言葉が望の頭をかすめる笑顔だった。
「どうか、というと?」
「なにが印象に残っていますか」
 朴さんは少し身を乗り出していた。望は、正直に答えるとまた面倒なことになりそうだと思ったが、朴さんの衒いを感じさせない率直さにうながされ、別にこれで終わってもいいやと思いながら答えた。
「土堤の上の人と土堤の下の人が、それぞれ違う動きをしていて面白いと思いました」
「そこですか」案の定、朴さんは不満そうな顔をして言った。「それもHの受け売りですか」
「いえ、いま見て何となく思ったことです」
 望はいつの間にか、もう緊張していなかった。開き直っているというのも違う、ただ率直であることでしかこのひとと取り引きできないと思っていた。駆け引きしても、この人には通用しないのはもうわかったていた。弁解のつもりでなく、この際言っておけることは言ってしまおうと、望は言い添えた。
「付け加えるなら、長屋の人物の出入りのさせ方がうまいと思いました。出入りによってストーリーが進展していく」
 朴さんは腕組みをすると苦々しい表情で望を見た。と、また突然に相好をくずし、苦々しさを残して笑みを浮かべ鱸木さんに言った。
「いよいよですね」
「そうみたいですね」鱸木さんがかしこまって言った。やはり鱸木さんは様子見という感じだった。
「?」二人の秘密の符牒の交換に望は戸惑いを感じた。
「それじゃ、もういいでしょう」朴さんは腕組みをほぐして、誰の気兼ねもないようにのびのびと両腕を伸ばし、誰に言うでもない様子で言った。もう望のことなど眼中にないようだった。ようやく鱸木さんは自分の役目が来たという感じで言った。
「望くん、君の面接はこれで終わりです。後のことは外にいる野宮くんに聞いてください」
 面接は十五分ほどで終わっていた。面接後半の朴さんが課してきた質問の追い上げは、いままで体験したことのない質の集中力へと望を追い込んでいた。しかしその追及も突然に終わったので望は心許なく立ち上がり、あいまいな感じで会釈して、ガラス張りの会議室を出た。鱸木さんは立ち上がって見送ってくれていたが、朴さんは手許の書類に目を通していて、望のことなどもう忘れているかのようだった。
 四日後、望の下宿に案内が届いた。望は塾生に選ばれた。塾の名称は、gの最寄り駅からとって「武蔵野横手塾」とあった。

 

(その3-1へつづく)

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