gと烙印(@アニメてにをは)

ジブリにまつわる回想、考察を書いていきます。

gと烙印/村塾編~【3ー1】村塾の始まり(1)

 月があらたまり、望が大学四年生になった四月、武蔵野横手塾は始まった。
 gのスタジオ内にある会議室で毎週土曜日、夕方からその塾は行われた。面接試験で望がはじめてスタジオを訪れたとき、ひえびえすような気持ちで一段一段のぼっていた階段の、その踊り場から続く中二階にある会議室でその塾は始まるのだった。
 会議室の扉をあけるとすぐ目の前に五段の階段があり、望は室内の様子を不案内に見まわしながらその階段をのぼった。会議室はこじんまりとして、長細い机がロの字型に並べてあった。もう何人か先に到着していて席に座っている。階段をあがった正面と右は窓が大きく外へ開かれていて、残りの二辺は天井までの書棚になっていた。室内は全体をパールホワイトで統一していて、あたたかみが感じられた。
 階段をのぼった先にはひとが立っていて、
「どうぞ、お好きな席にお座りください」
と聞き馴染みのある低く沁みわたる声で言った。面接で案内をしてくれた野宮さんだった。今日も渋くスリーピースが決まっていて、あのときと変わらず柔和な笑みを浮かべて望を迎えていた。望の存在に気づいたもうひとりが、野宮さんの隣の椅子から立ち上がると、望に目礼した。その女性もスーツできっちりと身を固めていて、若造に過ぎぬ自分に丁寧にお辞儀をするので望は恐縮してあわてて首をぺこりと下げた。妙に威厳のある女性だった。
 これから塾は一年間にわたりつづくのだが、このふたりは会議机から一歩退く形で並んでパイプ椅子に座り、終始黙ったまま塾の様子をただ見て、聞いているのだった。このふたりが塾に参加していた役割を、望はいま現在も知らないままだ。
 朴さんが座るはずの会議室正面の席から遠くなるほど席がいい具合にうまっている。望はこういうとき端の席に無理やり座ることはしない。仕方ないといった気持ちで前の方に座る。今回もそうすることにして、書棚を背にした椅子の並びへ進み、正面の席からひと席あけて座った。
 定刻まであと十分ほどある。望は首をめぐらして書棚の本をながめてみた。手にとりやすいところにはg関連の書籍がおさまっていたが、頭をあげて上の方へと目をやると、これはスタジオと関係があるのかな?という本が並んでいる。個人的な趣味で並べた本棚のようだった。
 本をみつめるのも飽きて所在なげに天井の灯りをぼんやり見た。さっきから後ろの席の方で隣り合ったふたりの男性が小声で話をしている。ときどき内輪同士特有のくすくす笑いをたてている。知り合いなのかな。頼りない気持ちで緊張している望には、彼らの笑いはうらやましかったが、でもどうしてああいう手合いは姑息な印象をまわりに与えてしまうのかなと考えて天井を見つけ続けた。その間にも新しく何人も会議室に現れて、徐々に満遍なく席がうまっていった。

 開始時刻から数分遅れて、ようやく朴監督が小階段をのぼって現れた。照れたような笑みを浮かべながら、とんとんと段をのぼって、
「おお、いますねえ」
とひとこと言って、ウヒヒと小さく笑った。面接のときの不機嫌さとは大違いだったので望は意外の感にうたれた。朴さんはそのまま腰を低くして窓際と席の並びとの隙間を縫って、照れた笑いを浮かべたまま正面の席へ向かっていった。
「ええとですね」朴さんは席につくとその照れた顔のまま言った。「これはまあ、何と言いますか、今日はお越しくださってありがとうございます。
 こんな感じで始めちゃって、いいですかね。ふふ」
 朴さんは後ろに控えているふたりの社員に向けて言った。
「ええまあ、この塾はですね、みなさんもご存じのとおり、アニメの演出家を目指す若いひとに向けて、どうすればアニメの演出家になれるかという、まあ、別に目指さなくてもいいんですが。ふふ。まあ、とりあえず、そういう名目にしておいてですね、この塾を始めていこうと、ま、そんな風な塾なのですね、これは」
 朴さんはどこかしら、喜びでうわずったかのような笑いの調子のまま、なんとも締まりのない開会宣言を披露した。
「で、ですね。まあ、最初はちょっと基本的なことを、知っているひともいるだろうけど、知らないひともいるでしょうから、アニメの基本的な仕組みについて、わたしがちょっとはしゃべってみようと思います。
 でもね。それはある程度のところで終わらせようと思うんですよ。
 それよりもね。ここに集まった皆さんが、何を考えてここへ来たのか、世界というものをどう把握しているのか、映画やアニメとどう接しているのか、どうすれば・どんな風にすればアニメってものがつくれると思っているのか、あるいはどうすればそれはアニメになるか。まあ、そんなことをですね、皆さんと一緒に話し合いたい。わたしがこの塾でやりたいと思うのは、むしろそっちなんですよね」
 望は黙って聞いてはいたが、冒頭からのこの意外な展開に内心驚いていた。教えるということを、なかば放棄している。これでは塾生を募った趣旨が外れてしまうのではないか。
 確かに望が望んでいたのは、アニメの仕組みなどではなく、朴さんのものの考え方を知ることだった。そしてその朴さんの考えに対して自分は何を言えるか。そんな場面が訪れることであった。だから朴さんのいまの発言は、望が漠然と待ち望んでいた可能性が全面的に展開されることを言い放っていたことになる。
 しかし望はこの展開にむしろ戸惑っていた。朴さんの宣言は塾の始まりとして、あまりに野放図だと思ったのだ。そっと他の塾生を、望は視線だけで見まわした。朴さんの意図をつかみかねて、微妙な表情になっている者もいた。
「それとですね。この塾はアニメの若手演出家を養成するという趣旨なんですがね、この塾を通っていても、gに就職できるという可能性はまったくないです。それだけは、ここではっきり言っておきましょう」
 場が凍るとはこのことだろう。キンとした空気は張り詰めた。実際望もこの宣言を聞いた瞬間、裏切られたような気持ちになった。
 望もこの塾の募集広告をみたときから塾の合格通知を手にするまでに何度も、これはgで働くきっかけになるのではないかと夢想せずにおかなかった。しかしその都度そんなうまい話があるわけがないと思い、そもそも自分はgの作品に否定的だったではないかと自問し、そうであってもなお、この塾通いがgで働く手がかりになりそうだという期待が湧くのをとどめることができなかった。これがgの磁力なのかと思った。
 しかしその可能性はいま、朴さんの発言で絶たれた。朴さんは続けた。
「というわけでですね、もしそんな甘い夢を求めてこの塾に通うつもりでしたら、全く意味がないですから。そういうつもりで来たひとは、今日で通うのをやめるのを、わたしはおすすめしますね」
 朴さんはいつの間にか照れた調子をひそめ、むしろ誇らしげな笑みを浮かべてわれわれ塾生の前に立ちはだかっていた。


 しかし朴さんのこの宣言から一年後、望はなぜかgへ入社することになる。それは先に言っておくのが読者にとって公平を期すだろう。
 なぜそんな矛盾する事態が生じたのか。
 それを知ってもらうには、望がこの塾で一年間、どんな振る舞いをし、どんな言葉を紡いでいったかを追うことでしか、その答えは解けないだろう。

 

(3-2:村塾の始まり(2)へつづく)