gと烙印(@アニメてにをは)

ジブリにまつわる回想、考察を書いていきます。

Reviews about every piece of animation in GreenPack at TAAF2022(TAAF2022グリーンパック作品群のレビューです)

★2022年、東京アニメアワードフェスティバル、通称TAAFにおいてノミネートされた”学生部門”アニメ短編=「グリーンパック」作品の短評を掲載します。
★こういった映画祭へ応募した自主制作アニメ作家たちは、もちろん何らかの賞を獲得することを期待するが、それ以上に自分たちの作品がどのように評価されたかを知りたいと思うものだ。それは私なりの個人的な経験則でもある。
★しかし他の国はいざしらず、日本においてはレビュー文化は壊滅的である。漠然とした感想ならまだしも、確かな鑑賞眼にしたがったレビューを出来る者はアニメ業界においては皆無だろう。
★以上の理由で僭越ながらグリーンパックの作品評をする。遅まきながら自己紹介すればわたしはジブリが発行する雑誌『熱風』でアニメ論を一年間連載した実績を持つ者である。これらのレビューに疑義を抱く者がいたならば、あなたなりのレビューをSNS上で書き込んで欲しい。そういうことが起こり得るきっかけにもなればと思い、わたしはこのレビューを公表する。
★ここに言及している作品は、下記のアドレス『東京アニメアワードフェスティバル(TAAF)』で無料登録すれば「グリーンパック」カテゴリーで、2022/8/11まで無料で見ることができる。
https://taaf.jp

『ガチョウと少年』(The Child and the Goose)


★1『他愛ない』作品である。こういうのが一番、評価に困る。洗練されていないデザインを、『そうでしょうとも』と開き直った風に提示される。動のつけ方も感心しない。飛びたてないでいるガチョウの動きは良いが、いざ飛び立ってしまうと重力/反重力を意識して実現する、力感のともなったはばたきはまったくなっていない。
★2少年とガチョウが都会に降り立ち、乾燥機で雨をしのぐ。巨大ガラスが少年を襲う。屋上のふちから少年が落ちたと思うとガチョウに乗って羽ばたき、ガチョウとカラスの攻守が交替する。
★3こういうのは『商売のアニメ』でやってくれと思う。作ってるスタッフたちにすれば、この作品を名刺がわりにして、どこかの商業スタジオに入社するために作られたかのような、そういう他愛なさ。

ゴールデンアワー』(Golden Hour)


★1まず白黒つけておこう。作品冒頭で、小道具を無限の高さに積み上げて持ち運ぶスタッフの『バランス感覚』が全然説得的でない。『あくまで冗談ですよ』と言わんばかりの動きのつけ方だ。しかしここで動きの精妙さを発揮しないでどこでこの作品の魅力を発揮するというのだ。つくり手は肝心の冒頭で手を抜いてしまっている。
★もちろんコミカルなセル(ルック)アニメとしてよく出来ている。群衆の波にもまれても逆らうヒロインの動き。あるいは暗がりのバーでX字状に視線が逸れあう人物の配置の妙など。
★しかし問題は作品冒頭なのだ。あそこでバランス感覚のアニメートをするか/しないかは、作り手がアニメに対して基本的にどのように立ち向かっているかを提示する、決定的に大事なポイントであるはずだ。

『ステップ バイ ステップ』(Step by Step)


★1よく出来た短編だと思う。何かの事情で森に置き忘れられた片方だけの子供用長靴。長靴は懸命の脱出動作をしながら、表情豊かな仕草をくりだす。そしてカタツムリ、リス、キツネとの友情あるいは格闘。ラストでたどりつく、我が家で待つ長靴一家が逆さに干されていない不思議さはまあ置くとしよう。
★2しかしこれもまた『よく出来た』作品に過ぎない。いずれピクサーなりディズニーなりに吸収される作り手でしかない。もちろん商業アニメへ進む一手として、この映画祭を利用するのは全然アリだ。だがフェスティバルの観客としてはこの手のものは商業作品でもう見飽きているのではないか。こういう『他愛ない』表現は商業作品でもっと大掛かりに・アイデア豊かにやられている。
★3だから結局、作品の『柄』として小粒に見えても仕方ない。これもまた商業スタジオへ参入する『名刺がわり』のつもりかも知れない。しかしフェスティバルの観客は甘くはない。商業アニメの『縮小再生産』のような作品を彼らは期待してなどいないのだ。

『トリオ「ザ・独唱者たち」』(The Soloists)


★1とても雑多な『部品』に満ちている作品だ。倒れては組みあがる書き割り的場面転換。人物たちの下半身を省略的に造形する独特の処理とそれにともなう動作。あるいは小道具がなぜか平べったい。物語としては、圧政下で歌唱を貫こうとする姉妹たちの話だが、上記のさまざまな細部に眼があちこちしてしまって、結局何がやりたいのかがわからない。アイデアが散らばってしまって、コンセプトが焦点化されていないのだ。
★2最後に政治的メッセージが字幕で出て来て、圧政下の女性差別の問題を皮肉るが、単に冗談として政治的コメントを出しているとしか思えない。ふざけるにしては、まだまだ世界には厳然たる様々な差別があるので、この冗談のような最後のテロップは、単に政治的意識が欠如した皮相さが浮かぶばかりだ。思慮に欠けたこのメッセージは、この作品が様々なアイデアに満ちながら統一的にまとめられない思慮の足りなさと通じ合っているように見えてしまうが、いかがだろうか。

『菜の花のころ』(Colza)


★1ミュシャのようなタッチの細密画で作品は出来ている。背景も人物も同じタッチで描き尽くされている。つまり背景と人物が一体化していて、やろうと思えばすべての素材が自由自在に動かすことが出来たはずだ。しかしそのメリットは活かしていない。しかし人物の動きのつけかたはよく出来ている。紐の結び方や、菜の花をつまみ方など。
★2細密かつ色彩豊かな世界が、短い時間で筋立てもコンパクトに収まっている。
★3問題は飛行機だ。重力/反重力の作用のバランスが効いていないので、飛んでいるように見えないんどあ。ただ空中を滑っている。一番の魅力的な造形物をうまく扱えていない勿体なさがあるが、それでも様々な面で(動き、造形など)バランスよく作られているので、以上の改善点が克服されればこのスタッフがつくった長編を見てみたいと思った。

『束縛』(The Bridle)


★1木炭スケッチ風アニメ。囲いにいた犬が飛び出して野を駆け回る。「束縛」の綱が唯一黄色の色彩を帯びて長い軌跡を描く。
★2動きに工夫はない。金網のしなり、ポプラ並木のうねり、車の疾走、どれひとつ納得できる動きのものがない。ひとつの動きを『繰り返し』で表現することが頻出し、四枚ほどの絵の繰り返し表現が下手である。最後に犬は束縛から解かれて、色彩豊かな野になって、犬はそのフレームの外へと飛び出す。色彩とフレームの『約束破り』をしながらも、驚きはない。基本的な動きが出来ていないので、観客はこの作品の「フレーム内」に入っていないのだから。

ウロボロス』(Ouroborus)


★1色彩感覚が鮮烈な作品だ。パステル調のカラリングは作品のディストピアな世界観をポップなものに変じて呈示し得ている。街やひとをおそう紫の粘液の、その粘りの質感や、それに対応するひとびとの仕草も動きの質感(緩慢さ、伸び縮み)がよく出来ている。
★2ただし、街をおそうこの粘液が、ひとびとに何を強いているのか/どんな変質を強いてくるのか、「設定上のルール」を決めかねたまま作品を作った甘さはあると思う。いくつかのルールが併存しているように見え、変質の結果のひとつに「倦怠感」らしさは感じとれるが、決定的ではないので曖昧さが作品につきまとう。
★3短編でアートらしさをねらうアニメに多く見られる欠点が、こういった「コンセプトなり設定の詰めの甘さ」が挙げられる。コンセプトなり設定を詰めていないと意味がダイレクトに伝わらない。つまり『寓意性』が伝わらない。ぼやけた印象になる。多義性と曖昧さを取り違えている作り手は多い。
★4この作品は色彩性という抜群の魅力と、確かなアニメートする技術があっただけに、コンセプトの脆弱さが解決できていないのが残念だ。

『気まぐれな雪』(The Uncertain Snow)


★1雪原で熊とコンタクトした恐怖に見舞われた女性カメラマン。彼女はなぜか熊との再度のコンタクトに期待して雪原で撮影を敢行する。それはパートナーとのセクシュアルな触れ合いを連想させるようだ。表現的には、人物の顔に意図的な色むらを残して、手描き感を残した作品になっている。彼女の手がまさぐる雪原が変じて、ベッドの純白なシーツになる。『質感を変容』させるこの作品のクライマックスだ。
★2パートナーとの曖昧な齟齬が作品の底流を流れるのは伝わる。しかし雪原での撮影行為と、パートナーとのセクシャルな触れ合いとが、どうして連想行為に結びつくのか伝わらない。そのためラストに、パートナーを否認するような仕草の幕切れも効果的ではない。
★3「女性性」の側から世界を異議申し立てするという切り口はうまく提示されていると思うだけに、雪原とセクシュアリティの連想関係はうまく組み立てていて欲しかった。雪原とシーツが「同じ白」なだけでは、イメージ同士の連関性は生まれないのだ。では「アニメとして」どうしたらいいか?観客を『作り手側へと誘う』それもまた「下手な/アマチュアな」作品の存在意義でもある。
★4作品の性質から言ってタイトルは原義に近い「不確かな雪」とした方が、観客にもテーマを感受しやすかったと思う。

『HIDE AND SEEK』(HIDE AND SEEK)


★1よく出来ている。日常にひそむ不穏な予感を様々なアイデアで積み重ねて、予測不能なカット割りとその構図の組み立て方で見せる。そして短編ならではな結構で明快につきつける結末。
★2でもこれを学生部門のグランプリにするのは審査委員たちに対して疑問ですね。この作品には『新しさ』がない。『未聞の表現』がない。せいぜい『小器用に・よく出来た』作品に過ぎない。こういうものをグランプリにする回が重なったなら、今後意欲のある作り手はTAAF出品を避けるでしょうね。

『蠢く羽音』(Buzzing)


★1ビデオゲームにでも登場するのが最適な造形の人物が、不出来でマチエールで登場して、動きも拙劣。彫刻家の男と恋人、隣室のチェロ奏者。三者のドラマも単調だ。多言を費やすのが不毛な、不出来な作品。なんでこんなのがノミネートされたのか。

『予期せぬ出来事』(Contretemps)


★1とても評価できる一編だ。人物の頭部がラフなタッチで描かれながら、実はしっかり三次元で構築されていたり、あるいはひとつひとつの動作に確かな技術力もある。神経症の女性が日常的なトラブルを乗り越えるという筋立ては、ありきたりでもあり・やや類型的な差別も感じさせるが、規格外な出来事に弱いこの女性が乗り越える冒険は表現に満ちている。
★2一番感心したのはセルと背景の確かな絡み合いが効果的に使われている点だ。煉瓦壁に手をかけ、据わりの悪い階段のステップに躊躇し、劇場の硬い座席に手をかける。ひとつひとつの動作にそれ固有の硬さの感触を与えている。
★3表現に水準を認めると、一方でどうしても筋立ての陳腐さが逆照射されてきて、作品として弱みがある。それでもこの一編が確かな表現力を持っているのは、事物の確かな硬さと妄想の弾力感あるやわらかさをきっちり造形しているからである。

『わたしのトーチカ』(Our Little Pond)


★1動作の面ではおそらく問題はさほどないと思う。全編を通じて画面の表面上になにかのマチエールが走り続けているが単調さをごまかすためだったら拙劣だ。
★2表現を凝るよりも明らかに何かを物語ろうとしている。しかしそれがよくわからない。何人かの人物が出てくるが、物理的特徴と性格的な特徴は皮相な関連性があるだけで、それ以上の表現的膨らみがない。人物同士の葛藤だけを筋立てとして見ていても非常につまらない。表現力は持っているが、世界観の構築が下手だと思われても仕方ない。
★3最後まで水上と水面下の二重世界にした意味がわからなかった。ビジュアル的に・アイデアとして面白そうだったからそうしたのだろうか。だとしたら後づけの理屈が追いついていない。
★4おそらくこの作品は、尺の短かさに見合うだけの、設定の取捨選択が出来ていない。そしてひとつひとつの設定が作り手に求めてくる、テーマの深掘りもほとんどされていない。
★5「地上と水中世界」が「プライベートと世間」という二項対立だと理解するのはもちろん簡単だ。二重世界を水中と地上に設定したら面白くなると思った着想は理解できる。しかし実際作品として実現してみると、ひとりだけ潜水服を着ているという設定がそれ以上面白くしようと工夫されていない。それすらも出来ていないのに、何人もの特徴的人物を配剤し、犬まで入れ込んでいる。どれも浅い設定のままである。
★6おそらく潜水服を着て通学する少年、という、ただひとつの設定だけで、どこまでその設定を、ひろい世界観と豊かなディティールで展開できるか、それを勝負すべきだったと思う。駒数ふやしてる場合でなく、たったひとつの駒が放つ『物語の磁場』に目を凝らすべきだった。

『ルイーズ』(Louise)


★とても魅惑的な作品だ。ドガロートレックの作品に着想を得て、豪華な踊り子たちの舞いから始まり、下世話な舞台裏へとドラマが展開し、パトロンとの無残なセックスでクライマックスを迎える。19世紀末の風俗へのフェミニスティックな眼差しが効いている。独立系短編アニメだからこその題材だ。
★ただし動きの工夫は、全編を通じてもっと精妙に出来ると思う。そしてそれ以上に空間処理の工夫が出来る。複層の奥行き、鏡の効果、階段の上下などなど。パトロンとの性交の無慈悲なカットの割り方も工夫に欠く。しかし末尾の踊り子たちがあらわにする裸体への、非セクシュアルな描き方は成功している。可能性を感じさせる作品だ。

★ここに言及している作品は、下記のアドレス『東京アニメアワードフェスティバル(TAAF)』で無料登録すれば「グリーンパック」カテゴリーで、2022/8/11まで無料で見ることができます。
https://taaf.jp