gと烙印(@アニメてにをは)

ジブリにまつわる回想、考察を書いていきます。

【質問箱】RE~その5

「質問箱」に集まった質問とその回答、その5です。

そろそろ本領発揮な回答も出て来ました。

 

【前回の、その4はこちら】

animeteniwoha.hatenablog.com

 

★質問41
大友克洋さんのAKIRAについてもしご覧になっていれば印象を聞きたいです。

■回答41
ここで何か断片的なことを言って終わるには勿体ない質問ですね。
ご存じか知りませんが、わたしは【アニメてにをは・まとめ】という試みをしています。

togetter.com

あるいは、もしかしたら、将来、『アキラ』をこの
【アニメてにをは】の材料にする日が来るかもしれません。
むしろそれをすべきでしょうね。
それまで回答を保留させてください。

 


★質問42
私は思い出のマーニーが好きなのですが、作画の観点でここが良いという場面はありますか?

■回答42
ヒロインふたりが庭で手に取りあってダンスするシーンがとてもいいと思います。
このシーンに関しては雑誌『熱風』2021年11月号できっちり文章化しているので、そちらを参照してください。いまならメルカリで500円くらいで手に入ります。
宣伝とか、売らんかなではなく、いま書いているような・間に合わせの文章ではなく、きっちりとその魅力を分析・言語化されているから、厳密さを期すためにも、どうぞ手にとって読んでください。

 


★質問43
宮崎さんに誘われたって、元々アニメ業界にいたのですか?

■回答43
ジブリが、将来アニメ演出家になりたい若いひとに向けて・アニメ演出家養成塾「東小金井村塾」を95年に開いたんです(第1期)。
ぼくはその塾生になって、そこで塾長の高畑勲さんとあれこれ討論していたら、宮崎さんが噂に聞いて、面白いから雇ってみようとなったのでした。

 


★質問44
『ホーホケキョとなりの山田くん』のブルーレイの特典映像の中で、高畑さんが風呂上がりの、のぼるの演技を指導されているシーンに高畑さんの言語化能力が垣間見えている気がして好きなので、類似エピソードがあれば具体的にお聞かせ願いたいです。

■回答44
具体的にどのエピソードかまでは覚えていないので、申し訳ないんですが、

居間の出入り口でまつ子さんが立っていて、ちゃぶ台の脇にお父さんかのぼるが座っているところへ向かって、まつ子さんがその人物にアクションをする局面があって、そのときそのエピソードのコマだかレイアウトだかを見ながら高畑さんは、
「これ、アクションが起きるまで、何歩あるかわかってやっているんですかねえ」
と言うんですね。

で、記憶があやふやで申し訳ないですが、その何歩ぶんのアクションをつけることを高畑さんが言ったか、その何歩ぶんが余計なものとしてプランを退けたか、そこまで覚えていないんです。

そのときぼくは、「ああ、高畑さんの作品って、こういう《監督の意図》で充満しているんだな」って感心しつつ、それでいいのかな?とも思いました。

さっきどこかの質問で、『もののけ姫』を鑑賞する際、他の登場人物の設定はあるのに、サンの設定がないのはどうしてか?と言ってましたね。
「そんなもん、あったところで、どうなるの?」
ってぼくは思うんです。

こういう映画の観方をしていたら、高畑作品を観る場合、《監督の意図》を全部知らないと観ることが出来ないことになる。
それをしたら究極問題になるのは、「監督の意図はそうかもしれないけど、そうじゃない風に見えてしまうとき、どうするの?」という反論が封殺されてしまうことをわたしは警戒しますね。
「いや、監督の意図が正解なんだ」って意見がまだ根強いんですかね。

《作者の意図を裏切ってまで作品に接すると、こんなに楽しいことが起こる》っていう新しい《作品享受の仕方》が半世紀前に主にフランスで発信されて、20世紀末までは日本でもその動向が生きていたんですよね。
ぼくの【アニメの・てにをは】も、どちらかと言うと、その地点から出発しています。

作者の意図を聞くこと・耳を傾けること自体は悪いことではないです。
ただしそれとは別に「自分の考え方・観方」を持てることがとても重要。
「作者の意図」と「自分の見え方」とをぶつけ合わせて作品を見る態度を鍛えていくことが大切。

みんな、作り手の意図に沿って作品を見ようとしてしまうから、逆に作り手は見方の一本化になるのを恐れて「意図」を明らかにするのを恐れているんです、実は。
だから劇場のアフタートークで質疑応答で「これこれの意図は?」と聞くと、「それは見るひとの解釈の自由です」って言うのは、作り手の「逃げ」ではないんです。自分が何か「正解らしきもの」を言ってしまうと、解釈が一気に硬直化するのを恐れているのです。
ぼくの理想は、「これこれはどういうつもりで?」と聞いて、作り手が「これこれのつもりでした」と答えるのを聞いて「ああ、そういうつもりだったんですね。ぼくはこう見えてますけど」と応答できるようになったら、面白いことになると思うんですけどね。

 

 


★質問45
石曽根さん、質問させて頂きます。
ジブリは社内恋愛は盛んでしたでしょうか?
私はアニメスタジオでは虫プロマッドハウスでお仕事して社内恋愛、結婚の方がそこそこいました。私も社内結婚しましたが、ジブリさんはどうかなー、と思い質問させて頂きます。
ドキドキ。

■回答45
いましたよ。
はい。
 


★質問46
ジブリに限りませんが、ひとつの画風を大勢の人が同じ線を同じ感覚で引けているのを本当すごいと思います。
とくにジブリにはそこにガタがないというか、相当な技術をもっていると思います。
線を引く時に、なにか思うことはありますか?

■回答46
すみません。ぼくはアニメーターでないので、わかりません。
画風の統一はむしろ作画監督の力量が大きくものを言うのだと思います。
そしてセルへ(レイヤーへ)転写する際の、線の均一さは動画スタッフ、動画チェックの力量が大きいです。
「動画は原画の踏み台じゃない。いいスタジオはいい動画マンを抱えている」
と宮崎さんは言っていました。

そんな作画監督や宮崎さんでも、超絶技巧のアニメーターがあげてきたカットは修正ができないでしたね。へたにいじると作画の躍動性を殺してしまう。
だからたとえば『もののけ姫』だけ観ていても、ところどころで登場人物が前後のつながりなく・違う画風の顔になっていますよ。

そこらへんの「直し切れなさ」については、『ナウシカ』DVDの副音声でちょこっと言及されています。この副音声はとても参考になります。一度副音声で『ナウシカ』を観てみたらいかがですか?

 

 

★質問47
大きなショックを今日の作品制作や絵に関する情報等で受けられたものは何かございますか?

■回答47
「ドキュメンタリー・アニメーション」という言葉を、疑問なく使っているひとが多くなっているのが驚きですね。
戦場でワルツを』などが有名ですが、実体験をもとにしただけで「ドキュメンタリー」と言うのかな?
《隅から隅まで作りもの》でしかない「アニメ」に「ドキュメンタリー」的なものを見つけるのは難しいはず。
「ドキュメンタリー」って、「実際存在するものを写し取ったもの」という程度の意味でよいのでしょうか?
それなら「フィクション実写映画もドキュメンタリーなんだ」って言った黒沢清監督の言葉ならわからなくもないし、実写映画の新しい映画の観方を提示していると思います。
「アニメにドキュメンタリーが出来る」という安易な発言を耳にする機会が増えると、なんだろう、映画評論家・アニメ評論家たちの「大がかりな・脳軟化」現象が起きているのかな?

 


★質問48
鈴木敏夫さんのラジオで、もののけ姫に出てくる森は屋久島に足を運んで描き、タタラ場の風景はイタリアに足を運んで描いたという話がありましたが、それはジブリのアニメーター全員で足を運んだ感じなのでしょうか?

■回答48
ごめんなさい、知りません。そのときぼくはジブリにいませんでした。

 

 

★質問49
アニメーションがより儲かる仕事になる為にあったらいいなと思うことはありますか?

■回答49
ぼくは儲かるかどうかよりも、労働環境としてアニメスタジオが改善されることの方が大切だと思っています。
どこのスタジオが、ではなくて、スタジオ全般が、です。
ぼくが公開したツイートでは、給与明細ばかりがピックアップされてしまったけれど、その前後のツイートを読めば、ぼくが提言したかったのは(給与の問題も含めて)アニメ労働をめぐるさまざまな問題を喚起したかったからです。

アニメ労働問題の改善、アニメ労働環境の改善が進めば、必然的に給与のことも「ひとつの問題として・俎上に持っていける」と思うのです。

「儲かる」って、どれほどの金額が・どのような形で・誰の手にわたるものとして、質問者は想定しているんだろう?
「ひとに必要なお金って、どれくらいで、それはどのように得られるものか」という問いかけはあってもいいと思います。
そのうえで「儲かる」って何?と考えたらいかがでしょうか。

 

★質問50
質問とかではないですが、作家は作家である以前に思想家だというのを、宮崎駿さんや高畑さんを見ていて思います。

■回答50
それはあなたの自由です。それを他者に押しつけ、強圧的にならないかぎり。 

(その6へつづく)

animeteniwoha.hatenablog.com