gと烙印(@アニメてにをは)

ジブリにまつわる回想、考察を書いていきます。

【質問箱】RE10

  質問箱のサービスに寄せられた質問をこちらのブログサービスにてお答えします。


【質問】
 ジブリ作品でたびたび話題になる「ジブリ飯」。私は風立ちぬのサバの味噌煮が御気に入りですが、石曽根さんのお気に入りはありますか?

【答え】
 わたしも『風立ちぬ』のサバの味噌煮がお気に入りです。宮崎さんの作品に出てくる食べ物は、『千と千尋』の無駄に多いご馳走だったり、『ラピュタ』の洞穴で食べるエッグトーストでも、常に何かしら《特別感》があったのですが、あのサバの味噌煮は《ふだんの食事》感があって好感が持てます。サバを箸で切り分けて断面が見えるところもいいですね。

 


【質問】
 常に何を目標に頑張っていますか?

【答え】
 こんな大それた質問に答えるほど、わたしはさほど大それた人間ではありませんが……
 常に《新たさ》を勝ち得るよう努力しています。
 いまの自分に自足せず、新たな可能性へ開いていけるように努力しています。
 《アニメの・てにをは》論もまだまだ何か新しいものが開拓できるのではないか?そう思って、でもあわてず/のんびりと格闘中です。

 


【質問】
 演出家、脚本家、音響監督、アニメーターの中で、一番作品への影響力や権力を持っているのは誰ですか?どの役割の人が主導で作品を作るのですか?

【質問】
 影響力をもっているのは他にプロデューサーという存在も欠かせませんね。
 《権力》というよりも、《作品のクオリティに関して、最終的に責任を負うひと》という意味ではやはり《演出家・監督》が一番ですね。
 でも、その演出家・監督がベテランか若手かでは、現場での《影響力や権力》のあり方が変わっていきます。
 若手の演出家は、ベテランや古株のスタッフには頭が上がりませんし、プロデューサーとのやりとりでも発言力がいまひとつ、ということもあるでしょう。
  ◆
 ただし演出家がベテランであろうと若手であろうと、製作が進行中のプロセスでは、誰が主導するかはそのときどきです。
 たとえば作画の出来上がりの過程で、そのカットの担当者と演出家は対等な感覚で打ち合わせをします。
 演出家は作品のクオリティに責任を持つ存在ですが、製作の過程では各スタッフと丁々発止で、絶対的権力をもつ存在ではないです。少なくとも宮崎さんや高畑さんはそういう演出家でした。遠くから見えるほどには、絶対的な権力者ではありませんでした。スタッフたちから汲み取れるものを最大限汲み取るべく、威厳は保ちつつ・謙虚だったと思います。

 

 

【質問】
 積極性がないと、アイデアを持っていても、実現しませんか?

【答え】
 この質問にはすこし考えてしまいました。
 ぼくは実際、多少の図々しさでジブリで目立ってしまったりしまったわけで……

 印象的な思い出があります。
 ジブリで開かれたアニメの塾(東小金井村塾)で、終始聞き役だった塾生がある日、友達と一緒に個展をやるという話を聞き、塾の仲間と見に行きました。
 何人かの仲間と共同でギャラリーを借りていて、その一角にそのひとの作品が展示されていました。
 そのひとの人柄をうかがわせる、あたたかな作風の展示物を見ながら、ああ、このひとにはこんな才能があったんだなあと心うたれました。
 塾での関わりでは知ることのできなかったそのひとの、意外な側面を見た思いがしたものです。

 じゃあ、おとなしくしていても、いずれ自然と周りが気づいてくれるかと言えば、しかし、そうですとは言うつもりはありません。

 塾生のひとも、塾の間は黙って聞き役でしたが、ひとりでやる勇気はなくても、仲間と一緒に個展をした。そして個展を開いたからこそ、ぼくや塾の仲間は初めてそのひとの創作の魅力を知ることができたのです。
 そのひとが個展をやることは、そのひとにとっての《勇気》であり、《積極性》だと思うのです。

 この質問をしてくださったあなたは、どうでしょう?
 こうやって《あえて質問する・積極性》を出したからこそ、いま、わたしがあなたに答えるという《事件》が起きたのではないでしょうか?

 《積極性はどうしても必要ですか?消極的なのはダメですか?》とあなたは問いたかったのだと思います。
 でもあなたは、《積極的であることへのためらい》をわたしに《問いかけた》のですが、しかし、《その問いかけ》がすでに《積極的》な行為だったのではないですか?

 なにか詭弁なりレトリックを披露したいわけではありません。
 わたしが言いたいのは、「誰かと比べて・自分は積極的かどうか」ではなく、「あなたの中にある・踏み切ってみる積極性の程度」の問題なのだと思うのです。

 塾生の個展も、そのひとにとっては大きな決断であり、そのひとにとっての積極性のあらわれだったのだと思うのです。
 実際、そのひとなりの積極性がなければ、ぼくはあのひとの才能に気づくことはなかったでしょう。

 あなたもどうか、誰かとくらべてみて、自分には積極性が欠けているのではないか?と思い悩むのではなく、あなたに出来る/決断できる積極性を見出して、それをぜひ発揮してみてください。
 無理な積極性をえらぶ必要はありません。あなたに出来る範囲での積極性を積み重ねていく。その積極性はできることなら、外へ/他のひとへと開かれていることが望ましいと思います。
 その結果、よい出会いがあれば、それを大事にはぐくんでいってください。